障害者福祉 改革の岐路  ―自立支援法の課題― 
◇福島智東大助教授に聞く◇


応益負担の発想に疑問 審査会には障害者を加えよ

―なぜ法案に対する不安が広がっているのでしょう。

「支援費が始まったばかりなのに、なぜころころ制度を変えるか、という怒りが底流にあります。厚労省は『支援費の予算が足りなくなり、財政支出の抑制を迫る財務省と障害者団体との板ばさみで困っている、と率直に言えばいいのに、『長期的な視野に立って構想した改革だ』などと主張するので、いかにもこじつけに映り、不信感を招いているのです」

―障害者部会で応益負担に反対されました。

「まず、『益』という表現に違和感があります。トイレに行く、食事をする、風呂に入る、日常のことをするにも支援が必要な障害者がいます。そのサービスを『益だから利用料を払え』と言われているのです。障害をもって生きる人の最低限のニーズを満たすための援助が益と呼べるでしょうか。ぜいたくがしたいのではない。人間らしく生きる最低限の支援がほしいだけです」

―障害者の状況について、「透明な牢屋」と表現されていますが。

「実体験が根底にあります。私は9歳で失明し18歳で視力も失った。その時、自分がこの世界から消えてしまったように感じ、牢屋にひとりぼっちなんだというどん底の感覚を味わいました」
「私は指点字というコミュニケーション方法を考案し、支援も得て脱出できましたが、まだ透明な牢屋にいる人がたくさんいる。食事やトイレだけではなく、外出やコミュニケーションをとるための支援がなければ、魂のレベルでは生きていけない。散歩をする自由がない生活は牢屋と同じです」

―障害者も負担しないと予算が足りなくなると国は説明しています。

「支援費が急増したのは、必要なのに我慢していた人が使うようになったから。厚生労省はサービスが青天井で増えると不安に思っているようですが、1日は24時間しかない。障害者への支援は、食事や入浴の介助を考えればわかるように、たくさんあるほどうれしい、というものではないので、おのずと適正な水準に落ち着くはずです。

―介護保険では高齢者も1割負担をしている、との意見もあります。

「障害者だけが特別扱いでいいとは思わない。ただ、高齢者は働いていたときの蓄えや家族に貢献してきた歴史を持つ人が多い。しかし、障害者は例えば作業所で働いても極めて収入は少なく、配偶者や子供のいない人も多い。状況がより厳しいと言えます。

―では、法案は廃案にすべきだと。

「国と自治体の財政的な責任がより明確になったことは重要な前進ですし、精神障害も含めたサービス提供の一本化など評価できる点もあります。廃案にすればいいといういうことではないと思います。ただ、応益負担のほかにも、精神障害の医療費の負担増など課題は山積みです」

―応益負担にはあくまで反対ですか。

「障害者の年金は、サラリーマンの平均収入よりはるかに少ない。今でも苦しいのに利用料をとられたら、地域で自立した生活ができず、親元や施設に戻るしかない。それでは何のための改革なのか。収入が不十分なまま、負担だけ公平というのでは、サービスの抑制を狙ったとしか考えられない。どうしても導入するなら、障害者が働ける環境づくりや、障害年金の引き上げなど所得保障をすべきです。

―応益負担の上限額を決める際、同居の家族の所得で判断されることもあります。

「本人の収入が少なくても、親やきょうだいなど家族に一定の所得があれば減免されなくなる。そうなると、一割負担は実質的に家族が払うことになる。それでは障害者はサービスを使いづらい。減免を決める所得は、本人分に限るべきです」

―新設の審査会についても議論があります。

「審査会には当事者の委員を加えるべきです。日々の生活だけで大変な利用者が、なぜこのサービスが自分に必要なのかを説明するのは難しい。サービス給付を抑えようとする『検事役』だけでなく、障害者のきめこまかなニーズがわかる『弁護士役』が必要です」

―障害者福祉の問題は、なかなか関心が高まりません。

「障害者は国内に少なくとも600万人。20人に1人は障害があることになります。20年余り前、国連は国際障害者年行動計画に『一部の構成員を排除する社会は貧しく、もろい』と明記しました。日本は『貧しい』。弱い者に必要な支援をしない現状は、バラバラになっていく社会の始まりです」
「その意味で、障害者の問題は、社会の本当の豊かさを示す『ショーウインドー』なんです。皆いずれ年をとるし、難病や障害をもつかもしれない。すべての人が自分選んだ地域で、つつましくても、心豊かな人生をおくれるようにな社会。こうした方向に進まないと、日本に未来はない、と私は思います」

                                       (朝日新聞2005.4.19)