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またしても取り残される?知的障害者のパーソナルアシスタンス 「DPI」Vol.25-1(09年6月発行) 岡部耕典(早稲田大学/リソースセンターいなっふ) 「見直し」というからにはその前提として謙虚な「反省」がなくてはならず、求められるのは法が制定された当時の思惑としがらみを乗り越える本質的かつシンプルな構想である。しかし、この「見直し」はそのように考えず、つまりこれはしぶしぶ行われた「譲歩」以上のなにものでもなく、なかでも、知的障害者は「他の者との平等を基礎として」遇されていない。 重度訪問介護の報酬単価アップ、国庫負担基準の改定、市町村の負担軽減をはかる支援事業の新設と、ホームヘルプサービス上限問題以来一貫して続けられてきた身体障害者のパーソナルアシスタンスに対する厳しい抑制政策は少なくともいったんは押し戻され、従来から厚生労働省が推進する介護保険制度と単価も方式も合せた巡回型訪問介護とパーソナルアシスタンスとの実質的な住み分けが(しぶしぶとではあれ)図られる方向感もある。 これは粘り強く続けられた地域自立生活の確立を求める当事者運動の成果である。しかし、法案を見る限り知的障害当事者やその介助者たちが従来から強く要望していた@移動介護を個別給付として復活させることA重度訪問介護の対象を知的障害者まで拡大することB介護資格要件の大幅な緩和等は対象外となっている。つまり、「自立支援」「地域生活」を掲げるこの法の「見直し」において、他の障害に比べても圧倒的に施設入所者が多いにもかかわらず、知的障害者の自立生活支援はまたしても取り残されることになる。 唯一の例外は行動援護であり、具体的には請求が1日8時間まで認められ資格要件に対する経過措置は期限を明示せず当面延長となった。しかしこの「緩和」は、「行動援護があるから重度訪問介護を知的障害者にも拡大する必要はない」という「見直さない」ロジックの補強としても使われ、また視覚障害者の移動介護を個別給付として復活させるにあたり行動援護と並列同格であることを想起させる「同行援護」というレトリックが採用され/「移動」「介護」という名称が慎重に回避されることで、これで種別を超えて重度障害者のパーソナルアシスタンスは完成型でありこれ以上の個別給付化はおこなわない、という頑ななメッセージが発せられていること、これらのことを忘れてはならない。 そして、そもそも行動援護とは何だったのか。それは基本的には外出を支援する介護であり、それゆえ利用時間も8時間以上の長時間滞在型でも短時間の巡回型でもない「中時間」となる。また、短時間利用においては身体介護に近い報酬単価は厳しい対象者の限定と介護者の資格要件が伴うことの見返りとして成立している。つまり、行動援護は自立生活運動が求めてきた長時間見守り型介護ではなく、「問題行動」を点数化することによる利用のスティグマ性と厳しい介護者の資格要件という利用抑制メカニズムをビルトインされた「身体介護付き移動介護」であり、それ以下でもないが断じて以上ではない。しかし、結局「見直し」はそこに落とし込まれ、知的障害者の地域自立生活支援は変わらず限定的/抑制的なものにとどまる。このことはもっと知られ騒がれ抵抗されてよいと思う。 視覚障害者の移動支援を個別給付に戻すというならば知的障害者の移動介護も復活すべきだし、それに伴い行動援護も元来の身体介護付き移動介護に戻せばよい。また、重度訪問介護の対象を知的障害者へと拡大するだけで、障害者権利条約第19条が要請するパーソナルアシスタンスを利用した「自立した生活及び地域社会へのインクルージョン」は知的障害者にも開かれる。それ以外に道理はなく、条約もそれを求めている。つまり、どうすればよいかは決まっている、しかしこの「見直し」はそれを言わない。このことにどう考え動くのか。問われているのは、自立生活運動や介護保障運動の真価でもあろう。 (参考文献) 寺本晃久・岡部耕典・末永弘・岩橋誠治2008「良い支援? ―知的障害/自閉の人たちの自立生活と支援」生活書院 岡部耕典2009『知的障害者の「生活の自律」とそのために必要な支援 ―アメリカ・カリフォルニア州における調査を踏まえて』(厚生労働科学研究費補助金障害保健福祉総合研究事業 平成20年「障害者の自立支援と『合理的配慮』に関する研究(研究代表者勝又幸子)」総括研究報告書) |
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