本件の結果を回避するために具体的に必要だった援助行為とは?
知的障害者入所施設の施設長を中心とする6名の福祉関係者の見解(2003年10月17日〜20日)
発作のある方には見守りが当然必要で、常時が無理でも、頻繁な巡回は必要だと思います。心臓停止から5分以上経ってしまえば、生存率は50パーセント以下になってしまうそうです。そして心配蘇生法を行っても、30分以上経ってしまえば、殆ど生存の可能性がなくなってしまうそうです。救急車を呼んでから到着まで平均7分かかり、病院を決めて搬送するとなれば、いったい何分かかってしまうのでしょう。 ということを私達は常に念頭においていかねばならず、職員の配置基準や勤務形態、非常勤が増えている支援費制度以降の現状で、責任体制など、大変な問題が内在しています。 ================================= こういう状態であれば、当然、入浴中に発作がおき、溺れる可能性があると施設は判断しているはずです。そしてそうなら、その入浴場面に、職員の把握がはいるはずです。 この施設で入浴がどうなっていたのか、と思います。利用者が好きな時に入浴ができるようにしているために、職員が管理せず、ご自由にお入りください、ということだったのでしょうか。 私の勤務する施設でも、いちおうお風呂自体は24時間入れる循環浴そうですが、しかし、現在は、夕食前と夕食後ともスタッフも担当をきめて、必ずいっしょに入ります。 その理由は入浴するのに、身体を洗うのに、介助が必要だからということと、安全の確保のためです。安全の確保を最優先にすることと、管理強化は裏腹な関係にあるので、利用者がかってに入って出てくればいい、とも思いますが、実際にそれができるのは、利用者のなかで、ごくわずかです。 この発作の場合、全身に及ぶ、大発作ではないとしても、「眼球が上転している」ということは、発作がある=部分的であるかもしれないが、意識障害があるということではないのですか。自分で自分をコントロールできず、事故に 繋がる危険性がある発作であるとしか、読めないのですが。 そうであるなら、入浴中の発作による溺死は施設が安全配慮義務を怠った責任を負うのではないのですか。 AIU保険会社にはよくお世話になっていますが、今回の場合、事故の責任がないというのはよくわかりません。 ================================= 当然発作が心配され、入浴という危険が伴う行為を行うのであれば、発作が最悪の条件で出現する可能性を想像することはできたのではないか、と思います。歩いているとき、立ち上がるとき、トイレに入るとき、食事のとき、入浴のとき、様々な危険な状態が容易に想像できるのではないかと思います。この場合は職務の怠慢というべきかも知れませんがこの部分は追求されるべきでしょう。次に発作が起きることが予想され、最悪の事態を招くことを想像され 他のであれば当然それに対処するための対策を講じて支援しなかった施設側は責任を問われると思います。 @事故としては施設と管理者、直接処遇者はそれぞれに責任を追求されるべきです。 A入浴時の援助体制を改善しなければなりません。 B発作のある者に対する援助を改善しなければなりません。 そしてその次は何か…と考えています。 ================================= 知的障害の中には多いてんかんを持っている方、向精神薬を服用されている方については要注意である。特に、行動障害を向精神薬によって抑制しているなどと言うケースについては、意識がとぎれてしまうような意識障害はなくとも、薬物療法を行うのは意識のはたらき方への影響を与えるためだから。 てんかんの人、向精神薬を服用している人には入浴に限らず、常時監視が必要、薬物を切り替える際などは、危険が予測されるわけだから、入院か、医師の常駐する場が必要であると思う。入所と言うよりも入院が必要では。それを一見問題が起こらないからといってそうしたフォローのないところで行うことには問題がある。安全性を犠牲にした妥協はしてはいけない。「管理」は良くないというが、「管理」が必要な状態の人がいると言うこと。当然、定期検診、細かい医療とのコミュニケーションは必要で、薬物によっては、2週間以上出せないようになっているはずである。その都度、医師の診断があって、薬物が出され、そのスパンは、2週間であるとすれば、2週間に一度は診察を受けることが必要である。そうした配慮によってようやく本人の安心した暮らしと言える。 ================================= 個人差もあると思いますが、発作のある人にかんしては、なんらかの前兆があることも考えられます。それにしても、1週間に1度以上の頻度で、1時間にもわたる発作のリスクをもつ人が一人で入浴するという状況がまず信じがたい。自由と安全の問題はありますが、このような場合、10分に一度の見回りでも危険ではないか。かといって、5分に一度の見回りでは頻回すぎるし、下手したら忘れる危険の方が高い。ならば入浴時間が短くなっても、一緒に入浴することが現実的。あるいは、非常に管理的だとは思います が、入浴状況を確認する担当者を決め、表に確認時間を記入するチェック表を使うことが考えられると思います。 ================================= とにかく、生命を守ることが出来なければ、地域でも施設でも自由権を保障するなどと言うことになりません。入浴の自由は、管理という冷たい関係ではなく、見守ることはみな当然のこととしてやっています。 七生福祉園がやったことは、この人に欠くべからざる支援を怠ったのであって、それを自由な入浴を認めたからのようにいうのであれば、それはすり替えであって、これは、きわめて稚拙なミスでしょう。このことは施設か地域か、と言うことではなく、支援としての基礎を欠いていたと言うことだと思います。 薬物については、可能な限り、厳密で適切な対処が必要で、それは施設であろうと、家庭であろうと同じでしょう。それが出来なければ危険です。それが出来ていなかっ たということでしょう。そんな施設は、いらないと思います。これからは、どういう施設が必要で、どういう施設がいらないかという基準が求められると思います。地域に必要な資源が出来、施設が本当にいらなくなるまでは。 |