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介護者A.(30歳・男) 自立生活センターN所属(看護師)

<介護の仕事をはじめたきっかけについて>

 20歳のころスノボがしたくて北海道に住んでいた。そのときに、やることがなかったから(笑)、生活費稼ぐために、知的と身体の人が半々ぐらいの作業所の職員をやった。それと別に筋ジスの人の泊まり介助。週日は働いて週末はスノボ、ですよ(笑)。

 金稼ぐためなら別の仕事もあっただろ、って? う〜ん、(障害をもつ)姉の存在もあるんでしょうね、それは。物心ついたころからそれ(介護)があたりまえになってた。思春期にはいろいろ反発してね、家でたりしたけど。ほかにも周りには障害もった人がたくさんいたし。

 若いころ姉のこと、恥ずかしかったんですよ。「おまえの姉ちゃん、半分死んでる」(注:姉は片麻痺)って、近所の女の子にいわれた。そういうこともあって、実は姉のこと好きだったんだと思うけど「差別する側にまわってしまった。」(姉と一緒に)「差別される側の恐怖」ですよ。あとになって、実は友達連中がそれほど(差別的に)思っていたわけじゃなかったということもわかるんだけど、そのころは「本当は(内心は)そう思っているんじゃないか」と思ってましたね。

 介護を始めて「もとの鞘に収まったのかも」っていう感じがした。看護師の学校へ入ったのも「介護のためには医療的なことやっといたほうがいい」っていうアドバイスがあったもので。ええ、介護福祉士よりいいって(笑) まあ、その前に、介護福祉士の学校落ちたんですけどね(笑)<なんで?> 面接で志望の理由を聞かれて「姉がいるから介護はじめた」っていったかららしい。<それが理由?> ええ、俺も性格的に言い張っちゃったから(笑) あとテストもできなかったんかもしれないけど(笑)

 それで学校卒業したら、自立生活センターNに入って、そのあとすぐ亮佑について、3年間ちょっとですか。

<現在の仕事の状況>

 医療関係の介護が多いですね。筋ジスの人、ALSの人、この二人は人工呼吸器つけてます。あとは、小脳変性症の人とHIVの人、それと亮佑(笑)。枠で入っているのは、子供も自閉症も亮佑だけですね。臨時ではいろいろついてますけど。

 一週間のスケジュールですか?月曜日は日勤4時間と夜勤8時間、火曜日は「明け」で休み。水曜日は、日勤10時間。木曜日は休み。金曜日は日勤10時間。土曜日は日勤6時間、これ亮佑です(笑) それと、土曜日の夜14時間か日曜日の昼10時間。これは両方じゃなくてどちらかですけど。臨時以外はそんなとこですね。

<自閉症の子供との出会い>

 介護でははいってないけど、小さいときから自閉症の人って結構知ってた。ええ、「自閉症」っていう言葉も知ってましたよ。介護でも、枠じゃはいってないけど、臨時ではSとか、MOさんとか…前は生活寮も入ってましたしね。亮祐で初めて会ったわけじゃない。

 亮佑と初めてあったときの印象ですか…?忘れちゃったな(笑) 「この子は大変なんだな」とは思ったけど、びっくりはしなかったです。そうですね、「知っていこう」という気持ちが強かったように思います。「なぜそういう行動をするのか」とか「どう対処したらいいのか」とか、いつも考えてた。あと、楽しくやろう、とも思ってました。実際プールとか行って楽しかったし。

<亮佑の介護って?>

 そりゃ、「プールでうんこしたこと」ですよね(苦笑) あれには、たまげた。想定外(笑) 水着の中に手をいれたくてもぞもぞしてた。最初よくわからなかったけど、すぐぴんときた。やばい、って(笑) 即出して、「お姫様抱っこ」でトイレまで(笑) 水着の紐強く結んでてよかった。あとは、トイレで処理して、水着洗って…ええ、また入りましたよ、なにくわぬ顔で(笑)俺はそのあとは顔だけは水につけませんでしたけどね(笑)

 あとディズニーランドで、入ったらすぐに出てきちゃうっていうのもあったなあ。彼には「したくてもできない」っていうことがあるんだなあ、って気がつきましたね。それ以来、(介護で)「連れ出して」いく、(親と決めた)「計画は守らなくっちゃいけない」っていうのはなくなったなあ。子供はやっぱり「遊び」(が大事)なんだよなあ。自閉症だから、とかっていうんじゃなくてね。それで、彼のしたいことをする、その障壁を(介護者が)除く、あるいは、やってはいけないことを止める。亮佑が楽しむのが大事、それが介護なんだ、って思うようになった。

 亮佑は、純粋に「したいことがしたい」んです、困らそうとかじゃなくて。でも、その「したいこと」に社会からは受け入れられない行動が多い。それは(介護者は)止めなきゃいけないんだけど、止めるられる(亮祐の)ほうはつらい。「(社会の)都合」で止め」のは、止める(介護者の)ほうも辛い。

<将来のことは?>

 亮佑の5年後ですか?18歳ですよね。そうですね、そろそろ事業所との「やりとり」が。<やりとり、って?> 「亮佑の将来をどうするか、自立をどうするか」ってことですね。亮佑自身はあんまり変わってないんじゃないかなあ。でも、今までどおりにいかないことも増えてくるよね、子どもだといって許されていることが許されなくなる…「立ちション」はしなくなってる。<そうかなあ…>(きっぱりと)もう、青年だからね(笑)

 10年後の亮祐ねえ…23歳ですか。「自立真っ只中」ですね(笑) だから「自立ゆえの(直面する)ストレス」もあるでしょうね、きっと。俺は40歳か…(そんな亮佑を体力的に)抑えられるかな(笑) <じゃそのときも亮佑の介護をしている?>「(きっぱりと)してますね。身近にいますね。

 25年後…38歳か…。あんまりかわんないんじゃないかなあ。そのときも、どっかで(亮佑のこだわりの)水撒きをしててほしい。好きなことをさ、社会との軋轢があってもね。そして、自分は、そこで、せめぎあってる(微笑)

 自分ですか?少なからずこんな感じ、で。介護は続けてますね。副業はやってるかもしれないけど。あと、山奥に住みたいって気持ちもある、相方と。でも、山行っちゃっても、そこから、出稼ぎで、介護くるかな(笑) <山の麓の村とかで?> いいえ(笑) 山っていっても奥多摩ぐらいで(笑) 介護は「このあたりで」、ですよ。 <なんで?>「知り合い」がいるから。 <知り合いって?>(障害)当事者、家族、事業所、友人、ですね。自分は、(ただ)介護がしたいっていうよりは、(介護を通じて)知り合いと楽しく暮らしたい、んです。「(介護の提供により)当事者の生活を支えることを通じて自分の生活(のための収入)を支える」ということ。お互いにメリットあるでしょ(笑)

 <亮佑は「知り合い」のひとり?>そうです、もちろん(微笑) 亮佑は、(もう/これからもずっと)「知り合い」です

 <お姉さんの将来は?>5年後、10年後…あまり変わってないでしょうねえ。多少体にガタが来て、車椅子になるかもしれないけど」。ええ、今までどおり、週日はアパートで介護者と暮らし、週末は両親と実家で、という生活。25年後っていうと…姉は58歳ですか…。かなり年ですね。親も死んでるかなあ。死んでなければ、一緒に住んでいるかも、いや、そうしてて欲しいなっていう感じ。<なぜ?>ハッピーなほうを選んで欲しいですね、みんな。親父は姉に、いつでも帰ってきて欲しいんです。<母親は?>昔は言わなかったんだけど、最近になって「私のせいで(娘は)こうなった」「私が(娘と)かわってあげたい」というんですよね…。<あなたとしては?>「自分との距離は、今と同じ、ですね。<「知り合い」?>ええ(微笑)


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