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E(38歳・女) 介助/介護をうける知的/発達障害をもつ子ども(14歳・男)の親 <子どもの障害との出会い> 1歳を過ぎても、しゃべれなかった。目もあわない。人懐っこいけど(母親でなくとも)だれでもよい、という感じだった。1歳半検診で引っ掛かりました。「様子みよう」っていわれた。でも、障害って思わなかった、っていうか、(そう思うことを)拒否していたのだと思うのですけど。それが、保育園にはいって、「これはほかのお子さんとちょっと違う」っていわれて。加配の先生がついた。それでやっと「受け入れた」って感じでしょうか。区の発達支援センターへも行きはじめました。いろいろ本とかも読んだ。 診断名がついたのは、4歳のころですね。病院で「自閉症です」っていわれた。ショック、というよりは…そうだろうな、って思ってましたから。ただ、そのときも「普通の小学校いける」と、なんとなく、思っていた。まだ小さかったし。でも、小学校はいる前ぐらいから、だんだん…夜泣いたり、眠れなくて騒いだり。でも、どこかで、まだ、「なんとかなる」とも思っていた。 気持ち的に受け入れるには、時間がかかりましたね。 <子どもにとっての「生活上の困難さ」とは?> 夜眠れない。困ったことがあるとパニック、他害。夜騒ぐ。学校の集団行動に乗れない。大勢でいることが苦手。お風呂に出たり入ったり。「泡風呂」にしちゃうし(笑) ジュース何本も、飲む。 葉っぱ食べちゃう(笑) 電車やバスで大声を出す。そのへんに座ったら動かなくなっちゃう。指きりさせる。手遊び唄させる。同じ質問を何回もする… <いくらでもでてくる:笑> ええ、いくらでもありますね(笑) でも慣れましたけど(笑) <介護を含む子どもの生活の状況> 火・水・金・日と、介護にはいってもらっている。週日は4時に学校まで迎えにいってもらって、7時まで。金曜日は、月に2回の歯医者通いのときは10時から。日曜日は終日。あとの日では、月曜日は学童保育。木曜日は私がみてます。お世話させていただいてる、っていうか、「付き人」のような感じで(笑) 土曜日は、パパ(が担当)なんですが、仕事のときもあるので、そのときは私ですね。 介護終わったあとは、食事。食べムラがあるし、ほとんどのお店では食事できない。だから、家で私が作って、食べてもらっています。ええ、おやつとかは、介護者と一緒にコンビ二いって買ってきたりしますよ。介護者が作ってくれて、食べることもある。ホットケーキとか、餃子とか。夕食のあとはお風呂。ずっと入っています。ええ、結構長く、過ごしちゃう(笑) お風呂入っている間は、私は家事しながら、それとなく注意しています。ええ、「見守り」っていうんですね、そうですね(笑) お風呂あがったら、ウォークマンで音楽聴いて、踊ってます(笑) あと、私と遊ぶ。「手遊び唄」とか、お気に入りです。11時になったら、なんとか布団いれようとするのですが、これが、なかなか… 11時に布団入って夜中の1時までに寝られたら、まあ、普通ですが、遅かったら、2時・3時になりますね。私ですか?ええ、そのあいだ、ずっと「腕枕」させられて…(笑) それで、私をじっとさせて、「テンカウント」させたり、「手遊び唄」歌わせたり、いろいろしなくちゃならない。 腕枕はパパじゃだめなんです。私だけ。でも、「お泊り」(ショートステイ)では、お兄さん(介護者)に腕枕させているみたいですけど。あと、寝るのが怖いんでしょうか、ビデオと電灯は朝までつけっぱなしにさせます。パパですか?帰ってくるのは、私たちが寝床へはいるのと入れ違いぐらいですね…そのかわり、散らかしっぱなしのお皿とか洗ってくれますけど(笑) 眠りは浅いですね…それで、明け方、6時ぐらいによく寝入っている。だから、朝起きれなくて。 8時半ごろおこします。私ですか?私は6時半ごろにはだいたい起きてます。それで、起きたら「うどん!」「パン!」とか仰るので(笑)、「食べたいものをご自由に」っていう感じで用意します。でもそれで食べられない、ということも結構あります。それから、学校に送っていく。ええ、(時間的にも)送迎のバスには乗れないから、私がタクシーで送る。家出るときに電話しておくと、先生が校門まで出迎えに出ていてくれます。 <印象に残っているエピソード> いっぱいありますけど…(笑) そうですね、「お風呂(風呂桶)の底が割れた」ことがありましたよ。水が入ったままのお風呂のなかでずっとジャンプして。慌ててガムテープ貼っておきましたけど(笑) あと、「煮詰まったり」すると、夜飛び跳ねて騒ぐ。それで…(マンションの)隣の部屋の人が不眠症になっちゃった。パパが話しに行ってくれたんですが、まあ、わかってくれて、でも、寝られなくなっちゃってて、やっぱり、最後はうちがでていくか、相手がでていくか、ということになるんだと思います。本当に申し訳なく思います…でも、「飛び跳ねる」って、唯一の感情(発散)表現だし、止めたらどうなるかわからない、って思うので…(止められません) ただ、そのことでいろいろあったあと、この何日か、飛び跳ねないんですよ。「どこかわかっている」のかもしれない。なにも言っていないんだけど、どこかで(状況・気持ちを)わかっている。それで、我慢している、そういう感じがします。 <自閉症の子どもたちに必要なことって?> まずは、周りの人が、社会が、もっと「理解」してくれる、ってことでしょうか… (問題行動は)「親が注意したら治る」、とか(まだ)いわれるので。 次に、「介護」ですね。私と子どもが一緒の時間は今でもずいぶん長いけど、それでも(長時間の見守り中心)介護が入ってずいぶん楽になった。介護の量、ですか?そうですね、今は、今くらいの量(月100時間強)で、いいかも。 あとは…「騒いでもいい家」が欲しい(笑) 「ダンススタジオみたいな家」があったらいいな(笑) 音立てても、好きなだけ跳んでもいい。そこで、私もパパも、一緒に暮らす。<ダンススタジオに寝泊りでパパ・ママは辛くない?>向こうにあわせる(笑) まだ中2ですもの。それで、彼が「もういい」っていうまでは一緒に暮らしたいんです。 <自閉症の子どもたちに必要な介護とは?> Lちゃん(息子)たち、けっこう、あれでも(笑)、「我慢の人」ですので…だから、まず、「我慢しなくてもいいよ」って、つきあってくれる、うまく過ごせるようにしてくれること。あと、一番は、「仲良く」っていうか、そうなって欲しいですよね。でも、もちろん、他害・自傷は止めて欲しい、「ちゃんと見てて欲しい」。 人を噛む、小さい子どもに手を出しちゃうこともある。私は、どうしようもないときは、「(私を)噛ませる」こともある。あえて、避けない(というかたちで)。彼も(私を噛んで)「落ち込む」けど、(他の人を噛ませないためには)それぐらいしなくっちゃならないこともある。 <将来のことは?> 5年後、ですか…20歳ですよね。学校は終わってますよね、どうしてるんだろ、想像つかないけど(笑) 週何回かヘルパー使って。そこは(今と)同じかな。 10年後…25歳ですね。「自立」してくれているとありがたいけど、どうだろう…まだ家にいるかもしれない。<「自立」って具体的にはどういうこと?>平日はグループホームかアパートいて、週末は、帰ってくる。でも、グループホームで「集団生活」はできるかな…? 一人暮らしのほうが本人は快適だろうけど、(それもまた)まだうまく想像(イメージ)できないし… なんか、(親子とも)歳だけとっているような気がする。 25年後、40歳。 まあ、ひとりで、家から出ている、とは思うけど。どうでしょう…(苦笑) ええ。全然、想像つかない。 私のほうですか?(笑) 5年後は…今のまま。余り変わらない。10年後、やっぱり、あまり変わらない。25年後は…お父さん(パパ)と二人で暮らしている。そのときも、(私は)パートとかには行ってて、今とあんまり変わらなくて、違うのは、Lちゃんがいないだけ。私たちは寂しいでしょうねえ…でも、Lちゃんは寂しくないんじゃないかなあ。どうなんでしょうね… |
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