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介護者B(27歳・男) 自立生活センターN所属(介護福祉士) <介護の仕事をはじめたきっかけについて> 東京には、音楽をやろうと思って出てきたんです。音大(短大)に入った。でも、卒業して、そっちの道では食えないので、介護の仕事をはじめた。求人誌をみて。20歳のときです。それからずっと続けている。でも、そのころ一緒にはいった人はほとんど今はいないですねえ。(なぜ?)ストレスじゃないかなあ…利用者には「難しい人」多いので(笑)。 お金のためにはじめたんだけど、仕事しての介護自体には違和感はなかった。実家には父方と母方二人の祖父が同居していて、ひとりは寝たきり、ひとりはアルツハイマーだったもので(笑) 介護自体は身近なものだったし、結構手伝いもさせられた。たいへんだったけど、おもしろかった。 <現在の仕事の状況> 「枠」と「臨時」、あと少しコーディネートと計算も。 一週間のスケジュールですか?そうですね、まず、日曜日午後は、WさんかXくん。WさんはALSで呼吸器をつけた人でXさんは自閉症の子供です。6時から7時ぐらいまでかな。月曜日は、朝8時から、たいていはYさん(CP)かZさん(頚損)に入る。3時か4時ぐらいまで。これは日曜夜にWさんの夜勤に入った人の替わりなんですけど。ええ、そのつど違うので、どちらになるかはわからない。火曜日は、朝9時から5時まで、Vさん(CP)。これは「枠」ですね。で、水曜日は、亮佑ですよね(笑) 1時半から7時半の「枠」。木曜日は、日中は休みで、午後6時から翌朝の9時まで、「枠」でUさん。筋ジスで呼吸器をつけた70歳の人です。金曜日は、9時半から、Vさん。頚損の人でこれも「枠」です。(夜勤明けのすぐで30分しか間があいてない…)そうですね、でも(UさんとVんの家は)近いから…(笑) で、土曜日はJさんです。「枠」で9時半から4時半まで。そのあと交代して、また午後10時から朝の8時まで、同じJさんの夜勤に入ります。 (枠の夜勤は2日ということですね?)そうです。(他にも臨時は入る?)そうですね、亮佑のショート(ステイ)とか…。(休みは1日しかない?)ええ(笑)でも、用事あるときはだれか代わってくれますから。その分、僕も代わりに入る。そんな感じで…(特に不都合はない)。 コーディネートは、Xくん(自閉・子供)とWさん(ALS・呼吸器)の二人ですね。亮佑は介護料の計算だけやっている。みんな事業所もばらばらです。僕は採用からずっとNなんですけど(笑) あと、Xくんのお母さんからの電話とかもある…<愚痴とか相談?>っていうか…(苦笑)すごいんですよ、今首絞めかけちゃったとか(笑) 泣きながら掛かってきたりする。1時間とか2時間とか。 <自閉症の人や子供との出会い> 最初に自閉症の人に入ったのは、Gくんかな。ええ、介護始めてまもなくです。夜勤が主だったですね。ただ「自閉症」という意識はあまりなかったなあ…そのころFさんの介護もやっていて、その延長っていうか…。ええ(重度の自閉症の人たちが多い)グループホームの介護もやりました。それはもうすこしたってから、グループホームはじめたころ。夜勤が主でしたね。葉っぱをちぎりながらずうっと歩いていったりするので「なんだろこれは」とは思いましたが、(自閉症っていう意識は)特になかったですねえ。 それから、亮佑にはいった。ここで、不思議でしょうがなくなった(笑) それからですね、自閉症の本とかって買い漁って、「こだわり」とか「クレーン」とか読んで、なるほど、とか。でも実際は(本に書いてないような)想像もつかないようなことしますけどね(笑) <なぜ亮佑の介護で自閉症に関心もった?>なぜですかね…自分がもともと子供と遊ぶのが好きだったからかもしれないけど、でも、亮佑の行動は「面白い」ですよ。ええ、ほかの自閉症の子供とも違いますね。発想が面白い。驚く。 <子供の介護がしたくて亮佑に入った?>いや、そういうわけじゃなくて(笑) S(コーディネーター)が「入れ」っていたから…(笑)最初はそういうことでしたね。 <亮佑の介護って?> とっぴな行動をしますからね…思いがけない行動っていうか。それが、面白くもあり危険でもあり。だからその「危機管理」っていうことがひとつ。あと、日常的なこと、「買い物」とか。 「コミュニケーションの障害」だから(自分の気持ちや意思を)「こうなんだ」って伝えることがうまくできなくて、それでいらいらして、パニックになる。それで(介護しているあいだに)駅とかバスで、荒れちゃう。(介護者に)「頭突き」したりとか(笑) そこにはまり込んじゃうともうだめ。<たとえば?>自転車にはまり込んじゃう。そういうときに、バスで帰ろう、っていっても…。 調子がいいと切り替え効くが、調子悪いと…固執する。(路上で)「でんぐり返し」したり。<そういうときどうする?>とりあえず、させたいことをさせる。あとは気をそらす。まあ、これは難しいですが…(笑) ただ、彼からすれば、「バスで帰る」っていうのは「こっちの(介護者の)都合」だから(笑)…それはわかる。だから(結局は「こちらの都合」を)「飲んでくれる」ときは、こっちも「甘えてもいいよ」って…(笑) (亮佑との介護での思い出は?)日々ありますけど…(笑) 最初に名前呼んでくれたときは嬉しかったなあ、「Bクン」って。もう、(枠で入ってから)1年か2年たったあとですけど。<なんていったんですか?>「Bクン、イコウカ」って…。<?>「お風呂(銭湯)いこうか」って意味だったと思います。あと「パンヤサン(吉祥寺のパン屋)」とか「ミズ(水遊び)」とか「ふいっしゅ・ばーがー(モスバーガー)」とか…。<「要求」に関連することばっかり:笑>そうですね(笑) でも嬉しかった。あとは、ショートステイの時に近所の沖縄料理屋に連れていくことがあるんだけど、最初は1分も居られなかったのに、3回目ぐらいに急に平気になったこと。「すごい」と思いましたね。嬉しかった。彼が行ける場所が増えると嬉しいですよ。 <将来のことは?> 亮佑の5年後って…18歳ですか。介護入ってるでしょうね。亮祐はそれまで学校続くのかな…?いっててもいってなくても、その「居場所は作りたい」って思いますけど。障害児に限らず(不登校の子供なども含む)フリースクールみたいなことしていきたいんです。子供たちの「居場所作り」。 10年後は…23歳ですね。自分は38歳かあ…(笑)。ヘルパーは抜けてるかもしれない。子供たちとは関わりたい。フリースクール的なことを集中してやりたいので。(田舎の)実家の土地にログハウスとか建てて(東京と)いったりきたりとか…いや、実家には帰りたくないですけど(笑)。(亮佑は?)アパートか生活寮にいるのでは?昼間は、日中活動に通って。(介護は?)もちろん(24時間)ついて…。たまには遊びに来て欲しいですけどね。 25年後(笑) 自分は53歳、亮佑は38歳…。一人暮らししてるでしょうねえ。24時間支援つけて。昼間いける場所が増えているといいだけど…。いくところない、やることないのは辛いからなあ…。普通の作業所みたいなところは無理でしょうねえ。「自由な日中活動の場」があればいいですよねえ。自分はなにしてるかなあ…フリースクールみたいなことで食えたらそのまんまかもしれないし、だれかに任せられるようなら、田舎に帰るとかも…フリースクールみたいなところをいろんなところに作る、なんていうのもありかなあ。よくわからないですけど。 |
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