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介護者D(33歳・男) 介護事業所L所属(ピープルファースト支援者) <介護の仕事をはじめたきっかけについて> そんなに昔からやっていたわけじゃないんです。5年ぐらい前からですね。ええ、ピープルファーストのことは、10年ぐらい前からやっていますよ。でも、ピープルファーストの支援者の活動って、「介護」ということとはちょっと違うような…。「ひとりの人の生活を支える」というのが介護。お金もらうってことだけじゃなくって、仕事であり、責任があり、「休まず」ってことがついてくるわけですから。 でも、5年ぐらい前までは、なぜですかね、(介護には)乗り切れなかった、って感じでした。ええ、それ以前にも、ボランティア的には、やってましたよ。Pさん(知的障害)がアメリカいくのに一緒に行ったり、CILのQさん(肢体不自由)の介護も、97年ぐらいから、いろいろと。介護者は(支援者と違って)お金貰えていいな、みたいには思ってたんですけどね(笑)当時も。でも、本格的に始めたのは、お金よりもタイミング、みたいな感じでした。事業所のRさんに、「とりあえずやってみない?」みたいな感じで誘われた。最初は、PさんとQさんにそれぞれ、昼と夜の泊りとやって、週1回・1日からでしたね。 (これまで続いてきたのは)「当事者の生活を支えなくっちゃ」っていう気持ちはあったかもしれません。大学院での勉強とか、ピープルファーストの活動っていうのは、そのうえで、「プラスでやっていくこと」みたいな感じになってきてるかな。 <現在の仕事の状況> 週でいうと、2日は、グループホームの泊りの介護。1日は、Qさんの泊り。これが夜で、昼は、Sさん(知的障害・重度)、これは、家事援助中心に朝とかは1〜3時間程度、土日は朝から夜までやることもあります。ガイドヘルパー+家事援助+見守り、みたいな感じで。そのほか、月2回ぐらいの不定期なんですが、Tさん(知的・中度)のガイドヘルパーもやることがあります。あとの時間は、ピープルファーストのことですね。事務所にも週2日ぐらいいますし、あと事務作業とか。 結構(介護担当している)人数は少ないんですよ。「だれの介護でもできる」って感じはないんですよね。最初からそうだったんですけど「この人(の介護)がやりたい、好きだ」っていう感じがしないとだめでした。今でもそうですね。 <自閉症の人との出会い> 5年前に、Pの入所施設を出たばかりのTさんに会ったのがはじめて、っていう感じでしょうか。同じ施設の利用者から暴行をうけていたのがわかって、でも、施設側は放置っていうか、ごまかそうとした。それで、これはいかんとお父さんがTさんを施設から出して、U弁護士が担当して裁判をやった。そのU弁護士の紹介で、お父さんが事務所に連れてきた。ええ、最初は介護じゃなくって。「ときどき遊びに来たら」って誘ったんです。ピープルファーストだと、施設でた人とかに普通よく言う、ああいう感じで。そしたら、ときどき来るようになった。ええ、お父さんと一緒です。それで、夕方帰っていく。とってもおとなしい、っていうか、実は、あまり覚えていない…Tさんが事務所でどうしていたとか、印象薄かった、といえば、そうかもしれません。 それが、急に来なくなった。なんでかな、とは思ったんですけどね。それで、半年ぐらいもあとに、お父さんがきて、「実は、今までRの入所施設にいれていたんだ」って… しかも、また前と同じみたいな目にあって、それで連れ戻したと。ええ、なにも相談はなかった。そのあと、今度はお父さんと突っ込んだ話をして、それから週一回は来るようになった。今度は「制度」も少し使いました。支援費施行前なので、市の緊急一時保護とか使って、少しだけだけどお金もつけて。そのときは、自分で自転車乗って来て、自分で帰る。でも、結構お父さんも一緒に来る。一緒に来たときは、お父さんの言いなり、って感じ。で、お父さんのほうも、「こいつはこういう奴なんだから」とか言って、手取り足取りにする。だから、なるべく「まず父と離そう」と思ったんですね。 Tさんの「生活をみる」、「引き受ける」みたいなことを考えはじめたのは、二度目に施設から出てきたときかな。それまでは、ピープルファーストの活動のひとつ、っていう感じが強かったと思う。お父さんが「自分はもう老い先短いし」みたいなことを口走ったりされたこともきっかけだったかもしれない。「お父さんも困っているんだなあ」って思いましたよ。二度目に施設いれてしまったのも、やっぱり、Tさんと一緒に暮らすのが大変だったからじゃないでしょうか。それで、まず、ショートステイしてみて、次に「グループホーム入れませんか」って提案した。そのころ、ピープルファーストの事務所のほうでも、「事業所」ってことを考え始めていた。Tさんだけが理由じゃないけど、でも、Tさんのことも大きかったと思う。 Tさんのこと、本当に「自分が引き受ける」って思ったのは、お父さんが亡くなってからですね。自立生活運動の影響うけてこういうことやっていたこともあり、「親は敵だ」みたいな(笑)なんとなくそういう意識もありましたけど、お父さんが亡くなってみて、(親のこと)そう軽くいえないなあ、って思いました。別に「引く」って感じはなかった。「どうしたらいいのかわからない」とは思いましたけどね。なにか、「嫌も応もなく、そういう立場にたった、っていう感じでしょうか。それで、「じゃあ、やってやるぞ」みたいな。そういう気持ちもありましたね。 <自閉症の人たちに必要な介護って?> まず、地域で暮らす障害のある人が必要なものって、「お金」「介護」「住む場所」ですかね。でも、Tさんの場合でいえば、それだけじゃないなあ… 介護がありさえすればよい、っていうわけじゃない。介護のコーディネートみたいなことが必要。それと、介護だけじゃなくって、「生活全般を見て支えること」が必要ですね。Tさんは、作業所なんかでもよくトラブルになるんです。だから、その「生活を支える」っていうことには、「Tさんってこんな人ですよ」って伝える、あるいは、「事を起こさないようにする」っていうか。そういうことが入らなくてはならない。生きていくために「支える」だけじゃなく「護る」っていうか。 Tさんと一緒にいて、大変だなあ、って思うことは、そりゃいっぱいあるわけです。特に、グループホーム入って最初のころは大変でしたね。とにかく、モノを壊す(笑) でも「コノヤロ」とはあまり思いませんでした。それよりも、「大変だなあ…」って。そして、「これからどうやっていこうかなあ」「どうやってつきあっていこうかなあ」って、いつも考えてた。とにかく、地域で暮らせなくなっちゃまずい、だから、なんとかしなくっちゃ、って。 グループホームのなかだけじゃない、外でもいろいろありましたよ。非常ベル押しちゃったり、コンビ二で、ドリンクの棚を洗いざらいザーッとぶちまけちゃったり。<そういうときはどうする?>もう、まずひたすら謝る。そして、片づけを手伝う、そして、壊しちゃったものを弁償する。でも、お店は、それでも、結構楽なんです。店員の人って、お客の目みたいなものを意識しているからそうは怒らないし、向こうも一応仕事でもあったりするし(笑) お金払えばとりあえず、みたいなところはあります。やっぱり、個人のほうが大変かなあ、ガラス割っちゃったりしたとき。とにかく謝るしかない、もう、さらに丁寧に。<こっちのほうが大変…>でも、そのときも、Tさんにそう腹がたったりはしませんね。まあ、目に前で、いきなり、みたいなときは少しかっとなるかもしれないけど(笑) 結構最近では、なんとなく予測がつくっていうか、それで覚悟ができているっていうか(笑) 面白いこともあったんですよ。Tさんがコンビニでカップラーメンを買って、どうしてもそれを「ラーメン屋さんで、お湯、入れてもらうね」って言い張って(笑) そりゃあんまりだって(笑)まあ、食堂で勘弁してもらったんですけど(笑) で、食堂でTさんが自分で「お湯入れてくださいね」って頼んだんです。こちらはもう、って感じだったですけど(笑) そしたら、入れてくれたんですね、お店の人がお湯を。で、「なんだそうか」入れてくれるのかぁ」って思った。それでいいんだ、やれるんだ、って。なんか自信がついた。こっちは少し恥ずかしいけど、だからって、止めるんじゃなくって、Tさんが自分で頼んでお店の人が入れてくれて、それで成り立てばそれでいいことなんだって。そうわかったら、最近は、「こっちが恥ずかしい」ってこともほとんど思わなくなって、平気になった。もちろん、犯罪、みたいなことは別ですけどね。そうすると地域にはいられなくなっちゃうから。 基本的には、Tさんが「なにをしてもいい」って思っているのかもしれません。あるいは、「信じてる」「支持したい」「やっちゃっても仕方がないよね」って感じかな。そう覆えるようになったのは、最近では「流れがわかっている」からかな。一緒に居て、傍目にはなにもしていないときでも、いつも、見ている、見えない隣の部屋にいたとしても、考えてる、っていうのがあります。Tさんの流れみたいなものを常に感じている。 ここらへん、昔は、わかりつつも巻き込まれる、っていう感じだったんだけど、今は、ちょっとそれからは離れていられる。お父さんが亡くなったあと、「重しが取れて全開になった」(笑)みたいな時期がTさんにはあったんですけど、そのときに、なんかTさんの「(振幅の幅」みたいなものがわかった、っていう感じです。そうですね、あともうひとつは、お父さんが死んで、自分自身の構えも変わった、ということも関係しているのかもしれません。 <将来のことは?> <5年後どうしてる?>そうですね、自分の生活はそのままで、ピープルの活動も介護も続けていて、そんなに変わらないでしょうね。Tさんは、そのころは、グループホームから出て、自立生活に移っている、移っていたらいいな、と思います。 <10年後は?>う〜ん、Tさんはまだ50歳だし、ますます元気、でしょうねえ(笑) でも、今みたいな「大変さ」から、「いいオヤジ」になってて欲しいなあ。好きなことして、それで結構まわりともそこそこ(うまく)やって、みたいな。え、自分のほうですか?ええっと、そのころは結婚していたらいいけど(笑) やってることは、多分、今と変わらないでしょうねぇ…でも、同じことでも、もう少し余裕をもってやれていたらよい、けど。Hさんとは一緒だけど、今より少し「遠巻き」になっているかも。つまり、直接の介護とかコーディネートは別の人がやっているとか。でも、週一回ぐらいは、逢いたい、ですね。逢える関係で。 <25年後は?>えぇ〜(笑)わかんないなあ(笑) でも、Tさんは、周りの人から「長老」みたいに思われていたらよいな、なんて思います。<「長老」?>ええ、先頭立つんじゃないけど、周りにいて、みんなに好かれる存在になっていて欲しい、と。<あなたも?>僕のほうは(笑)もう体が付いてかないっていうか…別の仕事しながら、でも、Tさんとは付き合っている、かな。そういうことが緩やかにある関係。今は巻き込まれていて語れないこともあるから、そういうことを語り伝える、とか(笑) (知的障害当事運動のリーダーの)Pさんの銅像たてる、とか(笑) ええ、本当に、前から、思っている、んですよ…(笑) |
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