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当事者主体と自立支援    =サポート研通信より=
                                              安藤 真洋

   
 障害者自立支援が施行されたが大きな混沌が生み出され、至るところでコンフリクトが生じている。国家財政逼迫という状況の中で財源をどう確保するのか、消費税の値上げか介護保険との統合かといった議論のなかで障害者福祉は政治の課題ともなった。業界関係団体は政治家に訴え、国民の理解を得るといったことに傾注することになった。一般に制度というのは生活者においては手段と捉えられ、それをどう使うかといった視点で考えられがちであるが、やはり法や制度は状況の反映であり、時代が経験していることの一つの政策的な結実としてある。今小さな政府によって作られようとするこの潮流の意味とはどういうものなのか、これから支援はどうあるべきか、それを明らかにしなければならない。

 支援とはそれを必要としている人との関係の中で行われる意識的な行為である。重要なことは当事者の主体性の尊重であり、これは自明のことであるとされる。しかしながら現実には彼我の関係は非対称的であり、しばしば抑圧や過剰な福祉的配慮によって権力構造が生まれやすいのも事実である。知的障害のある人の場合はそれがより顕著かもしれない。私自身の自戒としてとしてもある。しばしば利用者の皆さんへの思いを「よかれと思って」侵してしていないか、ということである。入所施設、通所施設に限らずその置かれている(限定的な)資源や環境の中で、公平性や効率性という表層にとらわれ無自覚に浸食している場合があると改めて心すべきではないか。

 当事者の自己決定を支援するということは排除や放置、一方的な介入や囲い込みというものとは対局のものでなければならない。支援にあたる側に共通するキーワード(問題意識)は「当事者主体」であり「心ある支援」である。ここでは「一定の時間接するその関係性のなかでの相互理解と信頼が重要であり、そして制御ではなくその人自身の安定を中心とする間主体的な支援が成立する。(中略) 生半可な知識や操作的な対応ではなく、しかし単に指示を待ってぼんやりと待つだけでもなく、ある時間をひたむきに関係性の中で生きる事から生まれる『見護り』とでもいうインテンシブな支援と、そのもとに成立する地域自立生活がありうるし、これまでにもあったのである」(「現代思想34-14 (2006年12月号)」「いうまでもないことをいわねばならない『この国』の不幸」岡部耕典)。こういう視点を共有したい。

 支援とは障害のある人を様々な関係から遠ざけることではなく、その生きようとする意思を受け止め、相互に作用し合いながら支援者もまた自らを全うする、そういうものではないないだろうか。私たちの優れた先達は皆そうだったのではないかと思う。(安藤真洋)


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