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重度訪問介護を使わせて〜その4

        =たこの木通信 242号=

                                                                寺本晃久



この10月から、ホームヘルプをはじめとして障害分野のほとんどの自立支援給付費の請求が、インターネットを使って国保連(国民健康保険団体連合会)に請求するしくみに、全国的にかわることになっています。

これは事業所内における事務上の変更にとどまらず、利用者(と市町村)をすっとばして事業所のインフラ部分を統制することで、国が各事業所を手先として一気に全体をコントロールしようとしているに等しい。

法でもなく現場の行政でもなく、「事務レベル」で枠がはめられていく。たたかわずしてすでに負けている。というか闘うことをあらかじめ拒絶する。

一方、参院選での自民党後退から安倍首相の辞任という、このところの流れの中で、障害者自立支援法の見直しの動きが与野党から出てきています。見直しは歓迎しますが、しかし、利用者の自己負担を安くしよう、以前の応能負担に戻そうという話題が、わかりやすいからだろうか、先行している印象がありますが、問題はそこ(そこだけ)にはない。

是非とも、制度の主旨や理念に立ち返った見直しを望みます。

流通している「言葉」が形骸化していっているような気分がこのところしています。自分も含めて、どこかに置いてきてしまっていたり、忘れていたり、わからなくなったりしていることがあるんじゃないか。

たとえば「措置から契約へ」といったことは、10年前に運動側もある種望んでいたことで、今、それは言葉の上ではそれは実現したと言える。しかし、今の姿は、果たして望んだ姿なのだろうか? 「自立支援法」だって、「地域移行」「自立支援」をかかげています。「自立支援」なんて、少なくとも措置の時代には制度の言葉にはのらなかったのだが…。そこで言われる「自立」って何だろうか。言葉がずらされ、伝言ゲームのように解釈され、骨抜きにされ、宙に浮いてはいないか?
 
では、何を考え/望み/行い/言ってきたのか?

現在の重度訪問介護は、1974年に東京都の東京都身体障害者(重度脳性麻痺者)介護人派遣事業」として始まり、その後「全身性障害者介護人派遣事業」となって、その他の都道府県や市町村に80〜90年代を通じて広がってきたことがもとになっています。主に身体障害のある人、それも重度の障害をもつ人の自立生活(運動)が、時間をかけて作ってきたものです。

また、この10年ほどの間には、自閉/知的障害の人についても、一部の都道府県や区市で移動介護事業ができてきたり、支援を受けた自立生活のとりくみもささやかながら進んできました。

こうした、この10〜20年の間につくられてきた実践と論理を受け継ぎ、さらに超えていくために、どのような言葉と論理をたてていけばいいのか? そのためにまずは、自分たちはこれまで何をやってきたのか、何を言ってきたのかを振り返る必要がある。




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