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『良い支援? 知的障害/自閉の人たちの自立生活と支援』にまつわる話 その1
“サファリパーク”の支援/“動物園”の訓練?
            =たこの木通信 254号=

                                                        岡部 耕典


 
 とある知的/自閉の人たちの施設関係者の全国大会があり、そこで記念講演を頼まれる。めったにない機会?であり、また施設関係者のひとたちにもぜひ手にとって見てほしいと思っていたので、生活書院の高橋さんに無理を言ってなんとかこの本の発売を間に合わせて貰った。(というわけでこの会場での販売が本邦初公開…)

 「走れ一輪車 〜知的障害/自閉の息子の自立生活と支援のために」というテーマで、息子(亮祐)の話とか、地域の支援の話とかをスライド付きで思い入れたっぷり話し、それで結構会場の反応良かったので気を良くして最後に(止せばよいのに)「“値切られた地域移行”にはまったく与しないけれど、でも、20〜30年の単位で見ればやはり“(入所)施設の使命”は終わったのではないか。でも、重い知的/自閉の人たちがいなくなるわけではない。みなさんはその支援の“たすき”をしかるべき人と、そしてしくみへつなぐこと、それがみなさんに残された使命ではないだろうか」と締めくくってしまった…のである(汗)
で、(思いのほか拍手があった)そのあとの懇親会でのこと。ひとりの〈老親〉がつかつかと歩み寄り、笑みを浮かべながら(でも眼がまったく笑っていない)「某県自閉症協会会長」という名刺を突き出し、「あなたは“サファリパーク”を作るのね!私はもう歳ですけど、あと20〜30年は長生きして、それがどうなるか(最期?)を見届けます」と言い放った。

 一瞬場が凍り、また正直いってそのもの言いにはむかっともしたが、でも、そこに込められた念(怨念?)は、なにか、とても切なく、やるせなくもある。

 誤解を恐れずに言えば、「半端な地域派」よりは、不器用で、でも心より動物たちを愛する〈老園長〉のほうが好ましく想え、だから、老兵は消えゆくのみ(ごめんなさい)、でもその矜持は守り、だから「施設は訓練の場」などという「開き直り」は止めてほしい、止めさせてほしい、〈老親〉にもそう説得してほしい。
 
 それでも〈老親〉はやむなし、かもしれない。(私はやはり〈親〉に甘いかも:苦笑)しかし、「訓練しないって、じゃあ私たちの専門性は…」「大学の先生が『施設の役目は終わった』とかいうとまた厚労省が…」と青筋をたてて詰め寄る若い施設職員、彼らについてはどうか。「“反施設派”の岡部先生を講演にお招きする我々施設関係者の懐の深さ」(冒頭の会長挨拶)という言葉とは裏腹なこの人たちの「懐の浅さ」がおおいに気になる、もちろんそうでない人たちも確かに居た、そのことも言っておかねばならないとしても。
 
 つまり、この国のハコとその担い手を覆う閉塞感は「単価」とか「待遇」とかで拓かれるものというよりも、その担い手のアイデンティティを「訓練」に収斂させる不幸にある、そう思えるのだけれども、これを〈先達たち〉はどのようにとらえどう取り組むのか、「よけいなお世話」だといわれるかもしれないけど「懐深く」考えてほしいとも思いつつ。



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