障害学会第10回大会(2013年度)報告要旨

見附 陽介(みつけ ようすけ) 北海道大学大学院文学研究科

■報告題目

排除と身体制度――障害の社会モデルの一視角として

■報告キーワード


■報告要旨

1. 報告のテーマと背景
 障害の社会モデルは、今日の障害研究において基本的なパラダイムを形づくっている。障害(disability)は個人の属性ではなく社会的に構築されるものであり、障害の解消のためには社会的環境の改善が最も重要である、というのがこのモデルの基本的な思想である。報告者は身体と社会の関係について哲学的観点から研究を行っており、とりわけ「身体制度」という問題に即して、「身体の同一化」と支配・抑圧の問題、および排除される「非同一的な」身体の問題を研究している。この研究は、上記の社会モデルと思想を共有しているだけでなく、その成果には障害の社会モデルのさらなる展開に資するところがある。
 今日の社会は「機能連関」として作り上げられている。社会に参加することは、すなわち社会の中でなんらかの機能を担うということを意味しており、そのとき社会に参加する一人ひとりの人間は、その特定の機能を担うべく機能的枠組みのなかに自身の身体を「同一化」することを要請されている。身体制度とは、このような社会における身体の機能的同一化の具体的な枠組みを示す概念である。身体の機能的同一化を要請するこの身体制度というものは、機能的枠組みに身体を同一化し得た人間にとっては透明な空気のようなものでしかなく、むしろ同一化し得ずに結果として社会から排除されてしまった身体の問題においてはじめて障壁としてその具体的な姿を示すものである。本報告はそのような「非同一的な」身体の排除、とりわけ「障害」の身体(disabled body)の排除の場面を分析することで、この身体制度の解明を目指し、その成果を障害の社会モデルへと還元することを試みる。

2. 身体制度の分析
 身体制度とは、簡単に言えば社会的な構築環境の中に埋め込まれた身体の運用の仕組みである。本報告はこの身体制度の分析に向けて「障害」の身体の排除の具体的な事例を得るために、主に『障害者の人権白書』(障害者の人権白書づくり実行委員会編、1998年)に依拠しつつ、一部で各自治体がホームページ上などに掲載している「障害者」の差別事例集なども参照する。分析の特徴は、しばしばなされているように排除・差別の場面別の分類ではなく、原理的‐機能的側面から身体制度の埋め込まれた環境の分類に即して分析を行う点にある。そのような分類として本報告では三つの類型の可能性を考察する。

類型@:情報的身体制度
 主にメッセージの伝達を目的とした記号的構築環境に埋め込まれた身体制度のことを情報的身体制度と呼びたい。例えば音声によってメッセージの伝達を行うよう構築された社会的環境には、耳で音声を聞き取るという身体の運用が制度的に前提されており、耳の聞こえない身体的特徴をもつ人間は情報の伝達とそれに基づく社会的行為の領域から排除される。
類型A:物質的身体制度
 様々な素材、道具、装置などにより作り上げられる物質的構築環境に埋め込まれた身体制度を物質的身体制度と呼びたい。物質それ自体は所与のものであり「自然法則」に従うが、その物質のデザインは社会的に形作られるものであり、そこには社会的構築物としての制度の埋め込まれる余地が十分にある。物質的環境から制度的に要請される身体の運用に自身の身体を一致させることのできなかった人間は、その物質的環境の利用とそれに基づく社会的行為の領域から排除される。
類型B:社会的身体制度
 人間の行為自体もまた一つの環境を構築する。人間の相互行為によって作り上げられた構築環境に埋め込まれた身体制度のことを社会的身体制度(あるいは相互行為的身体制度)と呼びたい。例えば、混雑時の歩行には一人ひとりに対して慣習的に一定の速度での歩行が要請されており、その一定の速度での身体の運用に自身の身体を一致させることのできない人間はその空間における移動とそれに基づく社会的行為の領域から排除される。

 本報告ではこれらの類型を事例に基づきながら具体的に検討し、「障害」が排除を通じていかに構築されるかを機能的観点から検討することにしたい。

3. 身体制度概念を用いるメリット
 身体制度を分析することにはどのような意義があるのだろうか。もっとも大きなメリットは、社会の制度や環境が障害を作り出すという思想に対して、機能的分析を通じた排除の原理を具体的に提示することができるようになることである。そしてこのことからさらに派生的にいくつかのメリットが生まれるが、本報告ではとくに資本主義と「障害」の関係について具体的な分析ができるようになる点について論じる。マイケル・オリバーは、資本主義の労働形態が「障害」を作り出すのに重要な役割を果たしたと主張するが、この資本主義と「障害」の関係を考えるときに身体制度という概念を用いることでどのような分析が可能になるかを最後に確認する。