Enough For Today?


武蔵野東学園の後援会が発行する「連合後援会だより」にボストン東スクールのことを書きました。
(2001年3月8日発行)
本文との重複もありますが、「思いを込めて・・」ということで、読んでいただければ幸いです。(一番最後の段落がが特にいいたいところかな?)
この件通じて、学園内の父兄・先生とも更なる交流も深まりました・・・

*なお、一部、掲載された文と(ちょびっとだけ)違っているところもありますが、こちらが実は、「元原稿」です。
   
  (謝辞)  編酋長殿、いろいろとありがとうございました!編酋長の「思い」が届きますように・・・!

ボストン東ツアーレポート

〜アメリカ障害児教育とボストン東スクールの意義〜

 

                                                                   武蔵野東小学校 2年保護者  岡部 耕典

 

2000年10月23日から、10月30日まで、武蔵野東学園の初の試みとして治療クラスの家族を対象としたボストン東スクールへのツアーが行われました。参加させていただいた治療クラスの保護者のひとりとして、そこで感じたアメリカの障害児教育制度とそこでのボストン東スクール担う大きな意義について、少しまとめてみたいと思います。

 

ボストン東スクールは、私立学校(private school)であり、法的には、連邦法による特殊教育機関としての認定うけたNPO(特定非営利活動法人)です。障害児のみが在学する施設ですが、法的にはあくまで教育機関であり、福祉施設ではありません。現在のアメリカの障害児教育は、徹底したmainstreaming(メインストリーミング:混合教育)であり、公立学校で障害のある子供もない子供も共に学ぶことが本人の権利として保証されています。日本でいう養護学校のようなものは制度上も存在せず、日本に比べると、障害児が地域と障害がない人々の間であたりまえに暮らし、学ぶという権利の保証が、制度としても実態としても徹底されているのです。

 

実は、こういうアメリカの教育制度のなかでは、ボストン東スクールのような寄宿型(residential type)の障害児専門の学校というのは、障害の種別に関わらず原則認められていません。ボストン東スクールは、教育委員会から、その実績をもって、特別に許可された存在なのです。では、なぜボストン東スクールが存在し、多くの在学生がいるのか?これには、アメリカにおける障害児の特殊教育を受ける権利保障の制度であるIEPIndividualized Educational Program :個別教育プログラム)が大きく関わっています。

 

IEPは、障害ある子供が、その障害の種類と程度に応じた必要なspecial education(特殊教育)を受ける権利を保証するものです。本人のために親と役所の担当者と専門家が、IEPの具体的な目標を定めます。その目標達成のための特殊教育は、一般の教師ではなく学位もった特殊教育の専門家が対応し、通常は、普通学級にいる障害児のもとに専門家が通うか、逆に特殊教育の教育施設に障害児が週に数回通うという形をとっています。このように障害児の権利は、「普通に生活できること」だけでなく、かつ「そのハンディに応じた特殊対応も受けられること」というところがアメリカの障害児教育の素晴らしいところです。ちなみに、このようなメインストリーミング(混合)とIEP(個別)をともに大事にする考え方を、一般的には、inclusion(インクルージョン)と呼ぶようになっています。

 

しかし、IEPの実行にあたり、身体障害の多くの場合とかとは違い、自閉症児、それも重度の子供達の場合は、問題行動への対処と生活訓練が大きな比重を占めており、なかなか普通学校での対応では、困難が伴う場合があります。また、環境的にも、多数の一般生徒の間にひとりぼっちであることが本人の安定と成長にとって必ずしも適切ではないタイプ、(もしくはそうした時期)の自閉児もいます。このような場合は、単純なメインストリーミングでは、IEPの環境としては不適切な場合と判断され、さらに親の強い希望があって初めてボストン東スクールへの入学が、IEPにより指定されるわけです。

 

しかも、アメリカの多くの州では、障害のあるなしにかかわらず、教育費は無料ということが法律で定められています。従って、ボストン東スクールの在学生の入寮費を含めた年間約10万ドルという費用は、多くのアメリカ人の場合は政府が負担し、学校に支払われています。そのかわり、IEPがちゃんと実施されその成果があらわれているか、また障害児の人権が守られているか、地域との交流プログラム等が組まれ実施されているかといった事項について、アメリカ全土のADA(障害をもつアメリカ人法)の実施監督をする官庁およびその監督下の州の官庁が、厳しい監督及び査察調査を行っています。ボストン東スクールの親たちは、自らが最も子供に適した教育環境を主体的に選択し、(多額の費用がかかるので、政府もそう簡単に認めてくれず、実際、教育訴訟を起こして、「入学の権利を勝ち取った」方もいるそうです。)しかも、その自らの選択と努力により多額の助成がおり、その結果としてボストン東スクールという自閉症専門学校の経営が成立しているという強い誇りと自負があるのです。学校側もまた、親たちの強い期待と行政側の厳しいチェックに応えているという責任感と自信に満ちているように感じました。代々の親の会々長は理事として学校経営にも参画し、一方で休日には、ボランティアで学校の垣根を修理していたりする親を見かけるのがあたりまえというような、フレンドリーで風通しのよい環境も、そういうお互いの自覚と自信が生み出すもののようです。

 

今、日本の福祉や教育の世界も遅まきながら、障害をもった子供や家族の権利の擁護とサービスの選択の時代に入ろうとしています。武蔵野東学園の柱でもある混合教育も、次第に珍しいことではなくなってゆくのかもしれません。日本が、10年先を進むアメリカのような時代を迎えたとき、すなわち、全ての学校で「混合教育」が基本となったときには、自閉症児の特性とひとりひとりの個性に応じた個別教育体制の確立、そして、学校と親と行政の新たな関係の確立が必要となります。それに対する大きな先取りと大事なヒントが、今のボストン東スクールには凝縮しているように思います。

                          <前に戻る>