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「知的障害者家族の臨床社会学 社会と家族でケアを分有するために」
                                    
                                   中根成寿著 明石書店


 ■書評

 障害のある息子の食べ残したものなど、ついつまんでしまって、つれあいに叱られてしまう父親は
決して少なくないのではないか。
 かくいう私が、そのひとりであるのだが(汗)、本書では、まずこのような「障害者の家族」の、それ
もきちんと検討されることが比較的少ない「知的障害者の父親」のリアリティが、インタビューを通じて、
丁寧にすくいとられてゆく。
 そこで改めて確認される「親を継続したい」と「他人の手に子供をゆだねたい」という「障害をもつ子
の親」にとっての永遠のジレンマに対して著者が提示するのが、「ケアの分有」という戦略であり、権
利擁護や成年後見、あるいはケアマネジメントとは、そのための「親の社会化」のシステムとして再確
認/再構築されるべきものと整理されてゆく。
 支援費制度開始以降のあざとくも悩ましい政策状況のなかで、「ケアの社会化」をめぐる「親という当
事者」の在り方の再構築が求められている現在、本書はそのためのひとつの枠組みを提供してくれる
貴重な一冊といえる。
 とはいえ、その枠組みを戦略として構想し、さらに実行するということは、最終的に私たち自身に委
ねられている。著者がいうように、「親であることをあきらめずに、親であり続けようとするならば、どの
ように親であるか、つまり『親性』を変化させていく他ない」のである。         
                                                       (岡部耕典)

                                    「手をつなぐ」2006年8月号 掲載 

 ■本書及び著者については、以下を参照
   http://www.arsvi.com/b2000/0606nn.htm


 ■以下「おまけ」(没になった初回原稿)

 長期にわたる家族によるケアの継続は、ケアをうける障害当事者の自我という「他者への侵入危険
性」をもたらし、また親自身の老いがもたらす「時間の限界性」から逃れることはできない。そこで求め
られるのは、「親であることを継続したい」という「ケアの論理」と「他人の手に子供をゆだねたい」という
「ケアの社会化」の〈あいだ〉の道としての「社会と家族のケアの分有」である。
 著者は、「知的障害者家族の親」に照準をあわせ、特にその「父親」のリアリティを、臨床社会学の手
法を用いつつ丁寧に/優しく汲み取りながら、このような整理をおこなっていく。そして、「ケアの分有」
のために必要となるのは、「時間の継続性」「親密性の確保」「予測可能性の強化」の三点に配慮する
ことであり、そのための「親の社会化」の装置として、権利擁護や成年後見、ケアマネジメントは再確認
/再構築されるべきものと説く。
 著者が言うように「親であることをあきらめずに、親であり続けようとするならば、どのように親である
か、つまり『親性』を変化させていく他ない」。「ケアの社会化」のための制度であったはずの支援費制
度開始以降繰り広げられるあざとくも悩ましい政策状況のなかで、本書で整理された理念型を武器にし
つつ現実と切り結ぶ戦略をたてることが、私たち「親という当事者」の側に課せられた課題としてある。

                                                       (岡部耕典)