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認定調査会という哀しさ

認定審査は哀しい。

概況調査、106項目と特記事項と医師意見書を突き合わせてたどり、
浮かび上がってくるその当事者が生きている姿。

「スコア」とやらに関わらず、みんなおどろくほど大変で、
しかし、つましい社会資源しか用いず、生きていることに胸が塞がれる。

そのことを感じて、このまま手をつかねていてよいのか、と思う。
パターナリズムといわれようが、おせっかいといわれようが、
これを見て/想い、でもなにもしないことは、
搾取であり、消極的な虐待ではないのか。

横に並ぶ「事務局」からはやんわりと牽制をうけつつ、
区分変更の「根拠」を巡り、「激論」をかわす。

でも本人を前にせず、その生活も知らず、訴えも聴かず、
結果も、実際の具合的なサービスの獲得に直接結びつかないとなれば、
それは、冷たく徒労感の強い「シュミレーションゲーム」
(それでも力の限り頑張るしかないが)

これは、介護保険と支援費制度の「悪いとこ取り」の、不愉快なキメラ。

この時間があれば、このマンパワーがあるならば、
それは、その人の想いを聴き、願う生活を適えることに充てられるべき。

「資源は有限」なのに、こんなことをしている「モラルハザード」は、
連日の深夜まで及ぶ審査会で疲れ切っている
「事務局」の職員(ワーカー)たちの心も侵食する。
(そしてそれは今後の自治体の福祉力の―さらなる―低下を招く)

障害程度区分の「改善」・「単価アップ」などの「条件闘争」ではなく、
この「根っこから」おかしいものを、
この国の「ふくし」の「生の技法」のとてつもない哀しさを、
変えるためのひとりひとりの働きかけが求められている。