Enough For Today?
                           心のバリアフリー市民会議


第三回 心のバリアフリー市民会議 実施報告


 

今回の講演・パネルディスカッションとも、テープ起こしにより内容を全て網羅しました。
非常に長文ですが、皆様に参考になる示唆に富んだ内容ですので、本ページを開きましたら
回線をお切りになって、お茶でもお飲みになりながら、是非ご覧下さい。

 

         <ごあいさつ> 代表 江上 渉

みなさんこんにちは。江上です、宜しくお願いします。
代表ということで引き受けて半年経ちました。ということはこの心のバリアフリー市民会議
が発足してから半年ということです。5月にここの同じ場所で第1回の市民会議を開いて半
年経った訳ですけれども、この半年に間でいろんな事がありました。私自身も色々な経験を
させてもらいました。たった半年なんですけれども、やっぱりこの数、いろんな方が集まっ
ていくとその活動というのはいろんな形で膨らんでいく。そのダイナミックな営みをこの半
年、見てきまして経験してきまして、大変私自身感動しています。具体的にどんな活動をし
ているのかということは、最後に活動報告という形でみなさんにお知らせしたいと思ってい
ますので、それを聞いていただいて、私もこんなところでやってみたいなというのがありま
したら、是非ともそちらにもご参加いただきたいなという風に思っています。
色々見てきて感動したという事を申し上げましたけれども、この、私どもの集まりが目標と
していること、一言で言ってしまうと街づくりということを考えたいということです。
今日のタイトルをみても、障害、障害者というようなことを考えているのではないかという
風に疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれまん。街づくりということとどういう風に結
びつくのと考えていらっしゃるかもしれませんけれども、そこを上手く結びつけていきたい
というのが私たちの狙いなんですね。その私はこんな事かなという風に最近思うようになっ
てきています。というのは、私たち街の中で暮らしている。社会の中で暮らしている訳です
けれども、周りの人間と私とが関係時の街づくりって一体何なのということになると思うん
ですけれども、街づくりの第一歩、ない、あの人とは関係ないんだ、というふうに思ってし
まったならば、街づくりというのは始まらない、ということです。
つまり、この社会というのは一見関係ないように見えるんだけれども、でも人と人とのネッ
トワークとか繋がりで出来上がっているんですね。私たちが暮らしていく、私が暮らしてい
くその事は、陰に日向にいろんなところでいろんな人との繋がりの中で私が生きている。そ
の事を関係ないという言葉は否定してしまう言葉だと思うんですね。関係ないと思ったと途
端に全て切れてしまう。街づくりどころでは無くなってしまうというふうに思います。です
から、逆に言えば、その一見関係ないというふうに思っている繋がりが実はそれが関係有る
んだと思うことが街づくりの第一歩ではないかなとそんなことを最近思っています。
ですが、関係有ると思っても一体どういうふうに関係有るのか、当然思うと思いますね。そ
の時に、やっぱりそこの壁を破っていくということは、話をする、お互い知り合いになって
みるということしかないんじゃないか、そこから始めるしかないと言う気がするんですね。
同じ街の中で暮らしている人たちとお互い知り合いになっていく。そんなことしかないかな
と思います。だけれでも現実には、なかなか話をする、出会うチャンスというのがない。
我々の生きているこの社会はますますそういうふうになっていると思います。なかなか出会
うチャンスがないですね。自分の知り合い、家族、友達にはたくさん囲まれているとは思い
ますけれども、それ以外の人たちと当然会うチャンスがなかなか無い。私たちはその出会う
チャンスを作りたい。それが先ほど言った街づくりの第一歩になるんじゃないかと思ってい
るからです。そして、自分とは立場が違う、これまで関係ないと思っていた人たちといろい
ろ話をしてみることで、私自身の新しい世界が開けてくる。私自身も半年間ここでこの会に
加えていただいていろんなことを経験する中で、新しい世界が開けてくる、新しい視点が開
けてくる、感動を味わってきました。
たぶん、今日の話を、野沢さんの講演、パネルディスカッションをお聞きになっていろいろ
みなさん感じられることがあると思います。その辺は、また、後ほど忌憚のないところをお
聞かせいただければと思います。
それから、もう一点だけお話しさせて下さい。今申し上げたような街づくりということを進
めていくためには、やっぱり一般の市民の方、先ほど司会の佐野さんが障害のある人もない
人もという仰り方をしましたけれども、なかなかその当事者、あるいはご家族、関心もって
今日もたくさん集まってくださっていると思うんですけれども、一般の市民の方々、なかな
かこういう企画をしてお声を掛けてもなかなか集まっていただけない。私たちも手を尽くし
ていろいろ宣伝をしているんですけれども、なかなか関心を持っていただけないということ
があると思います。
そこで、みなさんにお願いなんですけれども、こういう会、集まり、活動に関心を持ってい
ただくというのは、直接声をかけるというのが一番効き目があるように思うんですね。ポス
ターを何百枚貼るよりも直接「あなたちょっと来てみない」とこう誘われる、口コミという
のでしょうか、誘われるというのがとっても効き目があるように思います。
ですから、身近の方々でですね、別に関心がないよとおっしゃる方でも、是非一声かけてい
ただいて、この次こういう企画もあります、それから、いろいろその他サブの活動もありま
す、そういうところに是非来てみないかというふうに声をかけていただければありがたいな
と思っています。
これは、お願いという事になりますけれども。
代表というのは、挨拶をすることが仕事の一つのようなのですが、大変私、苦手な仕事でご
ざいまして、あまり大したことも申し上げられませんでしたけれども、これで、一応私のご
挨拶ということにさせていただきます。



<講演 「権利って、なに〜知的障害のある人が巻き込まれた事件〜」> 
                                         毎日新聞社会部 野沢記者


こんにちは、今紹介していただきました毎日新聞の野沢です。
きょうは、このような所に呼んでいただきまして、大変光栄に思っております。
私、普段人から話を聞いたり書いたりするのが仕事でして、人前で話すというのが元来苦手
で、おまけにちょっと風邪気味で、お聞き苦しい点が多々あるかと思いますけれども、その
点ご容赦宜しくお願いします。
今日は、このレジメにも書いてあるんですけれが、私自身たかだか最近4年位なんですが、
知的障害者のですね、関わる事件とか人権侵害の問題なんかについてですね、いろいろ取材
で書いてきましたので、それを通してですね、日本の障害者はどうなっているのか、その辺
をお話しさせていただきたいなというふうに思っています。
私の自己紹介を含めて何故こういう障害者の問題について関わるようになったのかというの
をお話したいんですが。
私自身も障害児を持つ親なんですね。長男が中学校2年生ですけども、自閉と知的障害でか
なり重度で未だに言葉がないですね。身辺の自立が漸く何とか出来る位な感じで、なかなか
一人で自立した生活は未だ難しい様な状況にあります。先ほども紹介していただいたんです
が、83年に、17年前ですね、毎日新聞に入社しました。新聞社というのは大体入ると最
初に、毎日だけではなくて朝日も読売もNHKもみんなそうなんですが、まず地方にばーっ
と一斉に新人は配属されるんですよね。それぞれの地方でまず最初にやらされるのが察回り
というあれで、そこでいろんな事件取材を経験して肉体的にも精神的にもハードなところで
まず鍛えられてこいというようなことで、最初にやらされるんですよね。私の場合は三重県
の津というところに行きまして、全く関西の方は血縁もないのですけれども、そこで3年間
ずーっと警察ばかり担当しました。新人の駆け出しのころは毎年年末年始ずーっと新人記者
が一人で寝泊まりして、餅だけばさーっと置いて行かれて、これで年を越せと先輩なんかに
言われるんですね。よく警察の署長さんの官舎に行ってですね、お節料理をご馳走になった
りしたような覚えがあるんですけれども。それで、3年間。その後中部本社というと名古屋
にあるんですが、そこで6年間過ごしました。6年のうち実に最初の3年半はやっぱり警察
担当で、私はそれほど向いているとは思ってなかったんですけれども、なんとなくついてし
まったというか、世間の注目が集まる事件ばっかり当たって、なんとなく離れられなくなっ
て、入社以来ずーっと6年半位警察担当で過ごしました。特に私が担当したのは、主に捜査
一課といわれるところですね、殺しとか強盗とかえげつない事件が発生するところなんです
けれども。夜中でも事件が起きたという連絡を受けると現場に飛んでいくというそんな生活
をしていました。ちょうど入社して3年目に結婚、4年目に子供が産まれたんですね。とこ
ろがその子供は・・・、自閉症のお子さんをお持ちの方はみなさん同じ事を言われるんです
けども。1歳半位になってからですね、うちのかみさんがどうもおかしいと、どこがどうお
かしいか分からないけれど、視線が合わないとか、抱き上げるとのけ反ってしまうとか、つ
ま先だしするとか、どうも他の子と比べるとどこかおかしいと言い出すんですね。そのころ
は、もう、僕は昼も夜もないような仕事で、ほとんど家に帰るのは寝るのに帰ってきて、夜
中に帰ってきて明け方出ていくというような生活だったもんですから、ぜんぜん信じられな
かったんですね。見た目では分からないし、それはなんかの間違いだろうとさんざんかみさ
んと衝突したりしたんですが。やっぱり、検診なんかでは引っかかっちゃうんですね。1歳
半の検診で引っかかかってあちこち回ってやっぱり自閉症じゃないかということになって。
最初は自閉症ということが当時分からなかったもんですから、なんとなく心を閉ざしている
というように思って、自分がこんな生活しているからかなと思ったりして、マンション住ま
いのせいかなと思ったりして。これはしょっちゅう外に引っぱり出せばそのうち治るだろう
と思って、いやー、自閉症で良かったなんてかみさんを慰めたんですね。ところが、自閉症
と書いてある本を買って読んでみると、とてもそんな軽く済まされるような障害じゃないと
いうのが段々分かってきて、それが非常にショックでして。
警察担当をしているととても家庭を支えきれないということで、自分からちょっと外させて
くれということで、キッパリと足を洗わせてもらったというのが、今から何年前でしょうか
ね、ちょうど90年の頃だったですね。92年に東京に来てからは、全く事件の方は出来ま
せんと、その代わり他のことをやりますということで、医療の問題とか福祉の問題とかやろ
うと思っていたので、自分で手を挙げて厚生省の担当にしてもらったんですね。ただ、やっ
ぱり、当時はまだ親としてもうぶだったのかもしれないし、どこか突っ張ったところがあっ
て自分の私生活と仕事というのは一緒にしたくない、分けて自分の人生を築きたいみたいな
想いがあって、厚生省を3年位担当していたんですけれども、当時の障害福祉課に足を踏み
入れたのは2回位しかないんですよね。実際に厚生省というのは非常に間口が広い役所で、
薬の問題から戦後処理の問題から、あと水とか食べ物とか、医療体制とかありとあらゆる問
題があって、その中のほんの一つの部門として障害者福祉という部門があるんですね。後に
なっていろいろ思うことがあるんですけれど、とにかく3年間はずっとあまり障害者問題に
首突っ込まずにいたんですね。
転機になったのが96年です。この年には何があったかというと、薬害エイズ問題が動き出
した年なんですね。私が担当して終わりの頃に、今民主党の幹事長ですかね、菅直人さんが
厚生大臣になって来て、役所というのは政治というのは面白いもんで、マスコミもすごく人
事異動が激しくて普通1年半位でどんどん変わっていっちゃうですよね。3年というのは非
常に長いんですけども、もっと沢山代わるのは大臣で、私3年間の間に6人大臣が代わりま
した。大臣が代わる毎に新しい大臣に必ず各社が個別のインタビューをする機会を設けるん
ですよね。その時必ず聞くのが、薬害エイズ、当時訴訟だったので、それをどうしていくの
か、厚生省の責任を認めますかどうですかと必ず聞くんですね。歴代の大臣はずーっと厚生
省には責任はないと言ってきたんですね。菅直人さんだけはちょっとニュアンスが変な言い
方をしたんですよ。これはどうもおかしいなと思ってたんですけども、その時に、省内にプ
ロジェクトチームを作ってやる、真相究明をやるんだということを仰ったんですね。私はそ
の時に、大臣、そんなこと言っても厚生省の中にそんなものを作っても駄目に決まっている
じゃないですかと言ったんですね。そんな物は外部に作って外部でやってもらわないと真相
究明出来るわけないじゃないですかと言ったら、いや、見ててくださいみたいなことを言っ
て。実際に、いろんな、菅さんの力だけじゃなくて、訴訟自体が和解に向けて動いていたり
とか、いろんな、当時与党の政治力学なんかがあって、あとは、原告への支援が大きく盛り
上がったりして、ずーっとこれまで無いとされていた資料が出てきたり、あるいは国会で集
中審議が始まったりして、警察庁も動いてですね、大きな刑事事件になったんですけども。
それが96年なんですね。で、ちょうどその時、まさに一番大変だった時に、ある弁護士さ
んから手紙を貰ったんです。実は、障害者を巡る大変な事件が起きているんで、君も手伝っ
てくれないかということで。それは副島さんと言う弁護士さんなんですけれども。私はエイ
ズのことでほとんど家にも帰れない状態で、とてもそちらに目を向けられる様な状況では無
かったんで、ずーっと半年間放置してあったんですね。で、いよいよ96年、一連のエイズ
の問題が片付いて、じゃ、そろそろそちらの方をやってみようか思ったところで、岡光事件
が起こってしまってまた離れて、あの、ちょっと言っておきますけど、私毎日新聞の社会部
に居るんですが、社会部の中でも福祉というのは本当にマイナーな領域に見られちゃうんで
すよ。どうしても社会部だと、まず警視庁とか、東京地検とかそういう事件持ち場がメイン
ストリームで、あと教育とか厚生行政とかあるんですけど、医療の問題とかね。そういうも
のの次の次の次の次の次位に福祉というのがあって、その福祉でも高齢者福祉がメインで、
障害者の福祉といったらまた次の次位になっちゃうんですね。とてもじゃないけど少ない人
員を割いて障害者の権利侵害を取り組めるような状況では無かったんですけれども、ちょっ
と、上司をうまく騙してですね、薬害エイズ取材班の看板を虐待取材班にすり替えて、当時
茨城県の水戸市で起きた事件で、水戸に3人位で入ってずっと取材したんですね。これは、
水戸のアカス事件と言われている事件で、新聞は毎日新聞しか書かなかったんで、毎日新聞
というのは大変売れてない新聞なんで、みなさんあまりご存じ無いかと思うんですけれど。
2、3年前にTBSのドラマで聖者の行進というのがあったのをご存じですかね。障害者が
ものすごい悲惨な虐待されちゃった、それのモデルになった事件なんですよ。このアカス事
件というのは。あのドラマを見ていた方はそれを思い出していただければ良いんですけれど
・・・・。ごく、簡単に説明しますと、茨城県水戸市にあるダンボールの加工工場があって
、そこに30人位働いていたんですね。で、その30人というのはほとんど知的障害の方で
す。社長とその親族が何人かいて、全寮制なんですね。96年の6月に社長が詐欺で逮捕さ
れます。これがどういう詐欺かというと、特定休職者雇用開発助成金というのを騙し取った
んですね。これは、障害者を雇うと、最低賃金さえクリアして賃金を払っていれば、1年半
に渡って国がその賃金の半分を補助しましょうという制度なんです。これは、大変今、障害
者雇用を進める上で活用されているんですけども、そこの会社はですね、後で分かったんで
すが、2重帳簿を付けていて、大体一人10万円位払っていることにしてある。ところが実
際には平均5千円、いろんな名目でさらにそこから食費代だなんだ取られてほとんどゼロに
近い、0円。ただ働きをさせられていた。ただ、親は一般企業に働かせてもらっているとい
う負い目があって、なかなか文句が言えない。0円で従業員を働かせて、国からは10万円
の半分の5万円、30人ですからどのくらいになるんですかね、相当高く、立件されただけ
で860万位詐欺をしていたということで、2年近くに渡ってそのくらい取っていた。2年
だけではなくもっと前からやっていますので、もっともっと被害額は膨大になるんですけど
も、そういう詐欺事件で逮捕された。
ところが、この事件の本当のひどさというのは、金銭的な犯罪じゃなくて、実はここで働い
ていた障害者達に悲惨な暴力、性的虐待が行われていました。私も最初聞いたときには信じ
られなくて、取材班のメンバと何度も水戸に泊まり込んだりして、何度も障害者本人から話
を聞いたり、暴行されている現場を見たという親とか第三者から話をインタビューして歩い
たりしました。
いろんな資料なんかも集めていたんですけど、とっても新聞に書けるような物じゃないです
けども、一端だけお話しすると、当時19歳の男の子、男性なんですが、耳がこう、半分位
変形してひしゃげっちゃってるんですね。ものすごく可愛らしい綺麗な目をした子だったん
ですけども、彼はもう、いろんな母親が工場に来る度に彼が殴られているのを見ているわけ
ですね。
スリッパで殴られたり、木の棒で殴られたり、椅子で殴られたりしているわけです。あと、
手錠を掛けられて、野菜室の貯蔵庫に半日位閉じこめられたり、あとは、空き缶を両膝の間
に挟んで正座させられて、その上に漬け物石を置かれて2時間位正座させられた。そういう
のを親たちが見ているんですね。で、もう、痛がって泣いたり叫いたりすると殴られるもん
だから、黙って油汗を流しながら耐えているんですね。その子は食事をしょっちゅう抜かれ
ていたんですが、別の子は、逆に、こんな太った子は、洗面器に白米を山盛りにして全部食
えと社長に言われて、苦しがって食べているのをみんなでニヤニヤ笑ってるんですね。タバ
スコ一本全部かけて、辛くてヒーヒ言いながら食べているのをみんなで見て笑っている。
やっと死ぬような想いで食べるとですね、ご褒美と言って大福を食わされる。それを食べな
いと殴られるから必死になって食べる。彼らだけではなく、みんなやられているんですね。
どうしてそんな悲惨な暴力をやられるかというと、面白がってとか、いろんな腹いせとかが
あるんでしょうけど、一つには、助成金が1年半で切れるんですね。だから、1年半毎に新
しい従業員に切り替わっていくことが一番会社にとっては有り難いわけです。だけどなかな
かやめないですよね。当然、助成金の趣旨というのはそうですから、熟練してくれば当然そ
れで賃金が稼げるだろうということですから。ただ、解雇するとその助成金は貰えなくなっ
ちゃうんですよね。障害者にやめさせてくださいと退職を申し出させないとだめなんです。
そのために暴力を振るう。何人もそれでやめていったんです。
最初に言った彼なんかはやめていけないんです。だから余計殴られる。なぜ、やめていけな
いのかと言うと両親がいないんです。そこしか身寄りがなくて、苦しいけどやめられない。
しょっちゅう食事を与えられなくて寮を飛び出すんですけど、どこにも行き場がなくって、
JRの水戸駅近くをフラフラしているところを保護されて連れ戻されるという生活を送って
いる。
悲惨なのは女性です。やはり19歳の子なんかはレイプですね。何人もに日常的にレイプさ
れている。ひもで縛られたり、手錠をかけられたりするわけです。もう、ちょっと言葉では
言えないような、ただやられていたんですね。
周りが知らなかったというかというと、決してそんなことはなくて、最初の子は、19歳の
子は空腹に耐えきれなくて飛び出したことがあるんですね。
飯屋さんで、今でも僕は名前を覚えていますけど、うおせいさんという飯屋さんに飛び込ん
でウニ丼を食べるんですね。カウンターに座って。食べたけれどもお金が払えない。店の店
主に裏に呼ばれて、無銭飲食だということが分かっているのかと怒られるんだけど、どうも
見た目はわかんない、軽い障害の方なんで。でも、どうもやりとりしているうちにおかしい
なとわかって、知的障害があるんではと分かってくるんですね。親はいないのか、いません
じゃ身寄りはないのかと聞かれても、また連れ戻されるのが怖くて言えないんですね。店の
店主が、でもそれじゃ困るから、誰か助けてくれる人はいないのかと言った時に、彼は、先
生に会いたいと言うんですね。何年か前に卒業した養護学校の先生くらいしかその時彼には
頼る人がいなかったんですね。で、店主が養護学校に電話するとたまたま先生が異動してな
くて残っていたんです。こういうことがあって困っているんだというと、彼はアカス紙器に
勤めているはずだからアカス紙器に連絡してやってくださいと言っちゃうんですね。で、社
長がやってきて、彼をぼこぼこに殴って店から連れ戻すんですね。それを見ていた店主が、
これはちょっと様子がおかしいなと気が付いて、もう一度学校に電話するんです。
で、先生ちょっと様子が違うから見てやった方がいいと言うんですね。で、先生もそうかと
思ってやってきて、アカスの工場を2回位視察に行くんですね。ただ、でも学校の先生が視
察に来た場面じゃいくらなんでも殴ったりしませんよね。で、普通に働いているところをみ
て、じゃあ、もう少し様子を見ようかということで、学校で職員会議までやるんですけど、
じゃあもう少し様子を観察しましょうということで月日が流れていって、その先生は異動に
なって誰も知る人がいなくなっちゃうんですね。その後彼はスリッパで耳がちぎれるような
暴行を受けて、内出血して病院に運び込まれるんですが・・・。まー、先生をどこまで責め
られるかわからないんですけど、もしあの時に、彼を助けてあげる手だてがあれば、そこま
で、耳の形が変わるほどまでの被害は受けなくてすんだんじゃないかなという気がしてなり
ません。そういう事件だったんですよね。
当時というか、私達が、私とか取材班とかが、あるいはずーっと障害者の権利侵害の問題を
やっているような弁護士の先生達なんかと話しているのは、96年97年98年にかけて大
きな事件が相次いで起きたんですね。障害者を巡る。それを3大事件と勝手に言っているん
ですが、その一つが、例のそのアカス事件ですね。もう一つは、アカス事件よりちょっと前
に関西で起きた滋賀のサングループ事件という、今、本になってますね。やはり30人位の
知的障害の方が働いている。これは、肩パットの製造工場なんですね。やっぱり全寮制なん
です。そこで、やはり悲惨な暴力と賃金のピンハネ、年金の搾取というのが行われてきて、
やはり社長が逮捕されて実刑判決を受けました。今、あのー、若い弁護士が30人位、全く
の無報酬で集まって、なんとか障害者の受けた被害を救済しようということで、強烈な弁護
団を組んで民事訴訟をやっています。
なかなか苦闘しているようですけれども、若い弁護士さん達が情熱を持ってやってくれてい
て、非常に僕らにとって希望の光ですね。是非、注目していただきたいです。
そこは、もっと実は悲惨なんですよ。この数年の間に5人亡くなっているんですよ。その工
場とか寮の中で。そのうち何人かは薬を飲んで、体を変調をきたしている。栄養失調と見ら
れる死亡もあるんですけど、なかなか身寄りをたどっていくのが難しくて、弁護団も途中で
挫折しちゃうんですね。で、誰も証明してくれないというか、証明しようがなくなってしま
う。そういう事件です。
もう一つは97年の秋頃に発覚したんですが。前の二つは雇用の現場での事件ですけども。
今度は入所施設、入所更正施設のしらかわ育成園。福島県の、JRの新幹線の新白川駅から
車で20分位ですかね、山の奥の方に入っていったところに建っている施設なんですが。こ
れは典型的な都外施設なんですね。都外施設というのは、東京都が都内になかなか建てられ
ないもんで、遠隔地に建てる施設、東京都が建てるのではなく、民間の法人が建てるんです
が、そこに東京都の入所待ちしている人たちが入って、東京都が措置費を出すわけですね。
東京都のお金で東北だとか北海道だとか、九州の方にもありますね。そういうところで運営
されていて、東京都の人がそういうところで暮らしているという施設なんですけども。しら
かわ育成園というのが、やっぱりこれも30人位の定員で、東京都に住んでいた障害者が当
時8割ですね。残りは横浜、一人だけ地元の人が入っていましたけれども。ここでは何が起
きたのかというと、処遇は非常に未熟なんですよね。そこの理事長というか経営していた方
が、全く障害者福祉にはほとんど素人同然で、施設に入れたがっている親が沢山いるという
ことを知って、じゃー寄付すれば自分が一生面倒見てやると言って親から一人800万位、
一番多い人で2400万位寄付させて、山奥に立派な施設を作って、そこで暮らさせる訳な
んですけど、技術とか理念とかないもんですから、たとえば、歩行訓練と称して半日位音楽
流して部屋の中を行進させているだけとか、あと、粘土遊びを半日ずーっとさせているだけ
とか、あるいは、施設長が自分の畑に連れていって農作業をずーっと1日させていたとか。
そういうところ。
それだけなら、まだ良いんですけれども。ひどいのは薬なんですよね。夜はその、ほんとに
そんなことが可能なことなのかわからないのですが、実際やられていたのは、30人の障害
者を一人園長が毎晩泊まり込みでずっとみるわけです。経費を浮かせるためらしいんです。
そんなのが本当に可能なのかわかんないんですが。30人、結構軽い人が多くて、行動傷害
がきつい人がいたんですね。なんの技術もない50杉の園長が一人で見る、なかなか大変で
すよね。じゃーどうやって見ていたかというと、夕御飯を終わるとすぐ消灯にしちゃうんで
すね。全部部屋に閉じこめて次の日の6時まで部屋から出てきてはダメ、寝なさいと言うん
です。20代、30代の元気な方達ですから、その日の6時から次の日の6時まで寝ている
なんてあり得ないわけで、じゃーどうするかというと睡眠薬を飲ませるんですよ。途中で元
気のいい人は目が覚めちゃうんですね。とすると、余計睡眠薬を飲ませちゃう。ひどい人は
1日十種類くらい薬を飲まされていて、しかも、食後に飲む薬とそれから就寝前に飲む薬を
まとめて飲ませちゃうんですね。あるいは、ご飯に混ぜて食べさせちゃうとか。薬って結構
危ないんですよ。幾つも薬を飲んでいる人は特にそうだし、量なんてのはきちんとやっぱり
お医者さんの処方通りしないと危ないですね。一人、ほとんど1日ぐったり寝ているだけの
人なんかもいました。見ましたから、私も。彼は元気な自閉のお子さんで、お子さんといっ
ても24歳位の人ですかね。多動で行動が激しいんで、余計に薬でおとなしくさせちゃう。
人間じゃなくしちゃう。管理しやすいように。そういうところでした。
これまであまり日本のマスコミというのは、障害者、特に知的障害者の人権問題を真正面か
ら取りあげるなんてことはなかったんですよね。
だいたい、あの、福祉、特に知的障害の方の新聞記事というのは、地方版の片隅の方に、ど
こそこの何とか園でクリスマス会をやってみんな仲良く過ごしましたとか、地域のライオン
ズクラブも人が何を寄付しました、いくら寄付しました、そういう記事って多いじゃないで
すか。
こういうことが起きているっていうことが、なかなか正面切って取り上げられない。恐らく
これが日本で初めてじゃないかなと思っているんですけれども。
アカス事件としらかわ育成園なんかは、僕が毎日新聞で取り上げましたけれども、サングル
ープ事件は中日新聞の関西の支社が大きく取り上げてやったんですね。
で、新聞で大きく取り上げたのでたまたま国会でも論議になって、厚生大臣や労働大臣が謝
罪したり、新たな権利擁護の施策をですね、打ち出したりして、ようやく、障害者の人権侵
害とか権利擁護とかが日の目を見るようになってきたといったらおかしいですが、きちんと
したところで論議されるようになってきた。これがきっかけになって国レベルを初め自治体
でもいろんな権利擁護の取り組みが始まったりして、あるいは施設や地域のオンブズマン制
度が今盛んになり始めましたし。私も、育成会等参加していますが、色々な団体が権利擁護
について取り組むようになってきました。
ただ、この3つの事件、サングループはいいんですが、水戸のアカス事件やしらかわ育成園
というのは世の中の空気を変えるにはとても良かったんですが、当事者は非常に悲惨な状況
になっていて、これは私ほんとに力の及ばないところで、反省も多いんですけども。水戸の
事件の場合には、性的虐待とか全部で17件位告訴したんですが、一つも立件していただけ
なかった。それはもう、知的障害者の証言というものですから、裁判の訴状に載るところま
で至らないという判断をされてしまったわけですね。もちろん捜査当局の問題もあるんでし
ょうけれども、障害者福祉のこちら側にそういう工夫とか努力とか手だてとか、なかなかコ
ミュニケーションがうまくいかない人たちをどうやって公の制度に乗せていけるのか、その
辺の取り組みがほとんどなされていなかったというのが一つの原因かと思うんですね。今日
このレジメの後に何枚か新聞記事を付けてありますけれども、今年の9月にアメリカに行っ
てきたんですが、アメリカでは非常にそういうことがとても盛んに研究されていて、いろん
な機器を使ったり制度を変えて、コミュニケーションが難しい人たちのコミュニケーション
の補佐・補助をどうやってするのか研究して取り組んでいる。これからは、こういうことで
やっていくしかないんだというのをほんと実感しているんですけども。水戸のアカス事件で
はそういう教訓を得たんですね。それだけじゃなくて、あまりにも期待していたもんですか
ら、支援者が、社長に執行猶予付き判決が出たときに裁判所の構内で騒いんだすね。それで
支援者3人が逮捕者されちゃって、そのうちの一人はずっと全財産をはたいて障害者を支え
ていたおばさんが逮捕されちゃって。社長のネクタイ掴んで出てきて謝れといったんですけ
ど。いろんな問題があるんですよ。なかなかこの場では言えないような、支援者側の組織の
問題があったりして、知的障害者を支える社会的な基盤というか資源がいかにないかという
のを痛感させられたんですけども。
しらかわ育成園は途中までうまくいったんですね。みんな軽い人が多かったんで、こんな施
設に閉じこめられるのはいやだと言って、みんなで出ていったんです。そして、施設は解体
させられました。恐らくそういうケースで入所者自体が立ち上がって施設を閉鎖に追い込ん
だのは日本で初めてなんじゃないですかね。僕も何度か行ったんですけど、りっぱなんです
よ、建物は。すごい金かけて頑丈な物作ってるんだけど、ほんと、人間が住んでいるところ
とは思えないような感じのところが幾つか有って、例えば回りには何にもないんですね、雑
木林の中で。なのに外灯が一つもないんです。日が落ちると回りが真っ暗になっちゃうんで
す。そして、建物の中には公衆電話一つもない。自動販売機すらない。ある軽い自閉の青年
が、僕のところに詰め寄ってきて、見て下さいこれ、何かあったらどうするんですか僕たち
は、と怒られちゃったんですけども。ほんとにそうだよねと言ったんですが。
一緒に親御さん、お父さんなんかも行って、障害者から話を聞くわけですよね。その時に、
ある青年はお父さんを論破しちゃうんですね、その場で。私はあなたのおかげで人生をこん
なにだいなしにされて、あなたはどう責任取るんですか。と、お父さんをやり込めちゃうん
ですよ。で、お父さんも冷や汗かきながら、新聞記者の前で、お前そんなこと言うなよと言
うんですね。でもどう考えても彼の方が理が通ってるんですね。ついに施設が解体されて、
東京の霞ヶ関の弁護士会館で記者会見を開いた。テレビカメラの前でスポットを浴びた。
で、彼が出てきてどうですか感想はとマイクを向けられ聞かれ、私は父に人生をだいなしに
されました、隣にいるお父さんは真っ青な顔をして、みんなで慌てて狼狽したことがあるん
ですけども。その位、自らの力で施設を飛び出してきたあの熱気というか・・・見ていて感
動しました。ただ、それから先が悲惨なんですね。もともと地域でなかなか暮らしていけな
いからということで親が施設に入れるわけですよ。で、施設で抑圧されて10年間過ごして
くるわけでしょ。親は当時より10年分老いる訳ですよね。もっと大変になった子が老いた
親元にまた帰ってきて、余計に10年前よりも難しいわけです。結局いま大半の人が、しら
かわよりもっと遠い施設に入っています。地域で生活している人もほんの僅かいますけれど
も、大変な思いをしている。で、親から電話貰ったんですよね。
私は弁護士さんやあなた達マスコミに騙されてました、と言われて、ずっと電話で話し込ん
でて、でもほんとおかしいなと実感しています。ほんといろんな物が欠けてたなと思うんで
すけども。一つ決定的なのは、戦いを支える母体というものが、地盤というか資源が地域に
あまりにも無さすぎたんですよね。どこにも行き場が無くなっちゃって、また施設の戻った
り。アカスだって、戦うことは戦ってもそのあと地域で孤立しちゃって、どこにも行けなく
なっちゃったりしてるんですよね。
それと、僕らの側、弁護士さんや僕らですけれども。マスコミ対策、議会対策みたいな制度
を改革するための戦略がないままに、現状こりゃあ許せないということで突っ走ってしまっ
た。でもそれを考えていると10年経っても20年経ってもずうっと動き出さないと思うん
ですよね。その辺が難しいところだと思うんですが。今そういうことを痛感しています。

こういう・・・3大事件と僕らずうっと呼んできたんですが。じゃあ、障害者を巡る人権侵害と
いうのは、こういう突出した物だけなのかといったら決してそんなことはないんですよね。新聞
記事に障害者取材班なんて掲げると、あっちこっちからFAXと手紙が殺到するんですね。ここ
でもこんな事件が起きている、ここでもこういうことがあった、とそこらじゅうで起きているん
ですよ。で、なんでこんなに障害、特に知的障害ですね、精神障害の方もそうですけども、こん
な風に人間扱いされていないとか踏みにじられているのかと思って、色々考えているんですけど
も、どの現場にも共通しているものというのが幾つかあるんですよ。一つは閉鎖性、すごい閉鎖
的なんですね、どこも。アカスとかサングループなんかはずうっと全寮制で24時間一人の社長
の管理下に置かれている訳ですね。しらかわ育成園なんかは山奥に建てられていて、他の地域の
施設と交流はないし、地域の住民達と全く交流はない、親とも交流はない、遮断しちゃうんです
ね。保護者会というのが年に2回あるんですが、何処でやるかと言ったら都内でやる。子供に会
いに行かないんですよ。都内で親たちだけが集まって寄付金の事を話し合う。
もう一つは当たり前なんですが、支配構造、力関係が固定しちゃっているんですね。社長だとか
施設長だとかという強い管理者が、一方的に障害者、利用者を完全に力で押さえつけている。本
来なら中間にいる職員なんかが違う役割を果たさなければいけないんでしょうけど、職員も上の
人と対立しては辞めていったり、ねじ伏せられてしまうということで、とても支配構造が固定し
ちゃっているんですね。
もう一つは、どこの場も精神的にも肉体的にもストレスがほんとうに充満している感じがします。
こういうところだけじゃなくて、障害者を抱えている職場とか施設とかというのはなかなか大変
ですよね。僕も、大変な子供の親ですから分かりますけども、一生懸命やればやるほど大変なん
ですね、これは。一生懸命やる職員ほど負荷がかかってきてしまう。なかなかそれが社会的な評
価とかそういうところに、金銭面での対価とかそういうところに結びつかない。そういうストレ
スが充満している。
4つ目は、強いて挙げれば援助技術が未熟だったり理念がなかったり、その辺が挙げられると思
うんですよね。
閉鎖的だから何をやっても誰にも見つからない、支配構造が固定しているから何かやってもやり
返されない、その辺に、虐待とか人権侵害が生まれてくる土壌みたいなのが作られていくのでは 
ないかなという気がしています。でも、最近思っているんですけども、果たして、そういう要素
がない職場や施設って一体あるんでしょうか? どこでも、やっぱり閉鎖的だったりストレス溜
まっていますよね。ぼくら会社でも相当ストレス溜まっているんですから。いま日本中がそんな
状況じゃないかなと思ったりするんですね。閉鎖的でストレスが溜まっていて支配構造が固定し
ている、家庭でそういうのが起きれば児童虐待になったりするし、学校とか教室で起きればイジ
メになったりする訳だし、大体そういうのは、特に知的障害の方がいる場所というのはそうだと
思うんですね。だから最近は、虐待とか権利侵害とは絶対にあってはいけないんだと言わないよ
うにしているんですね。もちろんあってはいけないんですが。あまりにも、権利侵害、虐待がい
けない、いけないというマイナスのレッテルを貼りすぎると、あってはいけないから、あっても
無かったことにするとか、あったら恥だから隠そうとか、そういう心理が働いてしまうと思うん
ですね。逆に、権利侵害が起きることが恥なのではなくて、それを隠すことが恥なんだという、
そういう意識に変えていけないかなと思っています。どこにでも権利侵害の芽は出るのだからこ
そ、早く柔軟にキャッチして、それをいい方に改善に結びつけていく、そういう努力をする姿勢
が大切なんじゃないかというふうに最近は考えています。
それと、沢山日常的な権利侵害はあるんですけども、虐待と言われているような物にエスカレー
トするには何か一つ要因があるんじゃないかなと思えてならないんです。それはなんなんだろう
とずうっと考えているんですけども、一つ確実に言えるのは、見て見ぬ振りをされる、これが良
心のたがを外して行くんじゃないかなという風に思っています。アカスにしたってしらかわ育成
園にしたってサングループにしたって、最初はそんなむちゃくちゃな人物ではなかったはずなん
ですよ。サングループなんかは滋賀県の県の広報誌に紹介されていて、障害者の太陽と、見開き
で社長の笑顔の写真をが載せちゃって、それを見るとなかなか社長だって情熱を持って取り組ん
でいこうというのが以外と伝わるんですね。最初はそんなに大悪人じゃ無かったはずなんですよ
ね。それが、経営が苦しかったり、ストレスが溜まっていたり、援助技術が未熟だったりして、
ちょっと叩いちゃったり、賃金をピンハネしちゃったり、それを職員達が見て見ぬ振りをする、
或いは行政の監査が素通りする、そういうことを通してどんどん良心のたががはずれていったり
したのではないかなと思っています。
職員にとっても大変で、孤立した職員ってすごく多いんですよね。僕も何人もすいう人と知り合
いで、未だに連絡をとったりしてますけども、そういう場に立たされたときに、職員っていうの
は3つしかとる方法がないと思っているんです。一つはやで辞めていくか、これが大半ですよね。
大体辞めて行っちゃうんですよ。障害者の施設とか職場で働いている人の定着率というのは非常
に悪いですよね。福祉の理想に燃えて入ってきても耐えきれなくて辞めちゃう。もう一つとるべ
き方法としては、上の人の言いなりになって、自分の理想なり良心なりを封じ込めて従っていく。
最後3つ目、そこで踏みとどまって上の人と戦う、戦うというか自分の理想を曲げずに。ただ、
この場合は非常に足を引っ張られたり、孤立していく。私の知っている女性なんですけど、こう
いうところで頑張るのは女性が多いんですよね、この女性の職員が職場で孤立させられちゃって
嫌がらせの電話がしょっちゅう家にかかってきて、自分の娘さんに猥褻な郵便物を送りつけられ
たりとか、そういう嫌がらせをさんざん受けながら一人で頑張ったりする人います。そういう人
が声を上げた時には、一緒に声を上げるのはなかなか勇気が必要で、口で言うのは簡単ですけど
も、なかなか出来ないとは思うんですけども、誰か勇気を持って声を上げたときにはせめて足を
引っ張らないで欲しいと、そういう職場で働いている人達に会うといつも言うんです。
ほんとにみんな孤立しているんですよ。なんとかそういうことだけはさせたくないなと思ってい
ます。

ここまでは、虐待とか権利侵害と言っても、誰がどう見ても悪い権利侵害なんですよね。考え方
というのは簡単と言えば簡単なんですが、ほんとに深刻というか大変なのは、日常的に起きてい
る障害者への暴力とか体罰の問題ですよね。実はここが非常に乗り越えるのに難しいハードルだ
と思っています。躾とか指導とか言う名目でやる、或いは自閉の方で行動障害が強くて自傷疑い
のある人はようく殴られてますよね。縛り付けられたりしていますよね。大体その時に、何故そ
ういうことをしちゃうのかと言ったときに言われるのが、これは指導であるから暴力とか体罰で
はないんだと言う抗弁があります。他の園生を傷つけちゃったり、職員を傷つけたり、私達だっ
てボロボロなの、やらなきゃやらないでこしたこと無いけど仕方なく緊急避難的にやっているだ
けなの、そんな責められる筋合い無い、と大体この2つですね。そういうのが事件になったのっ
て沢山有るんですよね。例えば、中野区にある、あいせい学園の問題なんか、あれは、若い職員
が、行動傷害がきつい女性が暴れる、というか他の方を傷つけたり、職員を傷つけたりするんで、
叩いて静かにさせた。叩いたという事で若い職員は解雇されちゃうんですね。職員が冗談じゃな
いと言って、労働組合をバックに訴訟を起こすんですね。確かに自分は叩いたけども、それはや
むを得ずに叩いてしまったこと。日常的に他の職人達がもっと叩いているじゃないか。実は自分
は改革派なんだと、なんとかそういう暴力体質を止めさそうとして一生懸命だったら、逆に孤立
させられて、大変な人を自分に押しつけられて、こういう状況になったんだ、叩いたのは悪いけ
れどもそういう状況に追い込んだ彼らの方がもっと悪いじゃないか、自分は辞めさせられる方じ
ゃないと訴えたんですね。どうですか、説得力有るでしょ。僕は、若い職員に会ったんですけど、
なるほどなと思って、どう考えたら良いのか分かんなくなっちゃったんですね。結局、裁判では
和解で、彼は取り下げて辞めました。どんな理由があろうと障害者を叩いちゃいけないというこ
とで辞めました。彼が指摘した、ずうっと前から叩いていた職員達も辞めさせられて、今、新し
い理事長、施設長のもとで、改革が進んでいますけれども、こういう事件ですね。
もう一つ例を上げると、文京のつつじの園というのがあるんですけども、文京区にある。これも
毎日新聞が取り上げたんですが、僕じゃないんですが。これは、通所施設なんですが、お金の問
題で色々問題になって、文京区が調査委員会を作って、色々な問題があるということで処罰とい
うか対処したんですが、その時に出てきたのが体罰の問題で、例えば自閉の方を遠足に連れてい
くと奇声を発したりジャンプしたりするんで口にガムテープをべたって貼って遠足に連れ回して
いた。普通に考えればおかしいじゃないですか。道を歩いていて、若い女性の方が口にガムテー
プを貼られていて、こうやって引きずられていて、普通だったらおかしいでしょ。親は、あれは
私達がお願いした指導だから良いんだと言うんですよね。で、毎日新聞は訴えられました、親に。
名誉毀損だ、あれは私達がお願いした指導であった体罰じゃない。他にも行動障害のきつい人の
頭から紙袋をかぶせてとか、椅子に紐でぐるぐる縛り付けて、それも指導の一環だと言うんです
ね。これは極端な例ですけど。
こういう記事を書くようになって、色々な施設の職員さん達に研修の場に呼ばれたりするんです
よ。で、いかに職員がダメかということをおまえは喋っていると言われて、冷や汗流しながら喋
るんですけども。必ず、質問されるんですよ。私の所にいる自閉の男性は187cm、体重11
0kg、ばーっと走ってきて体当たりされて、私はメガネをこれ迄に何回も壊されて、全身傷だ
らけで、歯も折れちゃって、障害者への暴力や体罰は悪いと言うけど私達職員の人権はどう考え
るんですかと必ず言われるんですよね。私だって好きで叩いているんじゃないんだと、やむにや
まれずに何とか他の子を傷つけないようにと思って、他の子を傷つけたらその親から文句を言わ
れる、だからしょうがなくやっているんですよって言われるんですよ。その時は、うちの子の顔
を思い浮かべて、親の心理に立ち返ってしまって言葉が出なかったんですね。で、どういう風に
答えたらいいかな、ちょうど今大変だしな、他の園生だってかわいそうだしな、どうしようかな
と思ってたんですけども。思いあまって、親を殴ってくれって言ったんです。親を呼びだして、
おまえがこんな子に育てちゃってどうしてくれるんだと言って、親を殴って下さいと真面目に言
ったんです。そしたら、えっ、と言って、そんなこと出来るわけないじゃないですかと言うんで
す。僕も意地になって、何で出来ないんですかって言ったんです。そして、本当に冷静になって
考えて下さい、何で親を殴れないんですかと言ったんです。それはね、例えば、殴ったら殴り返
されるかもしれないし、告訴されるかもしれないし、損害賠償だと言って訴えられるかもしれな
いし、あるいは、あの施設でこんな暴力を奮ったと言いふらされるかもしれない、最低でも恨み
に思われますよね、ずっとね、そういうリスクがあるから殴れないんでしょ、と言ったんです。
そうしたら、そう言われればそうですねと言うんです。じゃ、障害者はなぜ殴れるんですか、あ
なたは。彼らは殴り返すことも出来ないし、その施設から逃げていくことも出来ないし、まして
や告訴したり提訴したりすることも出来ないし、場合によっては恨みに思うことすら出来ないか
もしれない。そういう人を、そういう人間を殴っている、この非人間的な卑劣さをもう一度考え
て下さい、考えましょうよと言ったんです。あそうか、そうかもしれないな、でも自分達のこの
ぼろぼろになった状態をどうしてくれるんですかねと言うんです。それだったらあなたは職員を
辞めたどうですかと言ったんです。障害者はどんなにやだって障害者をやめることは出来ないし、
ぼくら親はどんなにやでも障害者の親をやめることは出来ないんですよ、あなた達、いくら今、
日本が不況だからってそんなにやだったら辞めたら良いじゃないですか。その時は売り言葉に買
い言葉みたいになって言っちゃったんですけど、でも、本当にそうだと思うんですよね。
その位のどこか人間扱いしてないんですよ、意識の中で、本当に対等の人間だと思ったらそんな
人って殴れないと思うんですよ。殴るんでしたらそれなりの覚悟を持って殴って欲しい。殴っち
ゃいけないんですけどね。そんな話をしていたらみんな結構しーんとなって反省している風にな
って、第2部の分科会でみんな告白をし始めるんですね。今日私初めて言いますけど、障害者を
殴っちゃったことがあるんです。その時は、自分が情けなくなっちゃっておいおい泣けてきちゃ
って、ふと見たら自分が殴っちゃった障害者も横で涙流して自分を見ていた、二人肩抱き合って
わんわん泣いちゃったんですと言うんです。で、コーディネートしていた人が、良い話ですね、
感動的ですねと言うので、ちょっと待って下さい、殴られた障害者は痛くて泣いていたんじゃな
いですか、怖くて泣いていただけじゃないですか、やっぱり障害者の側にもっともっと立って、
自分たちは障害者側に立っているつもりでも全然立ちきれていないんだということを、もっと自
覚して欲しいと思うんですよね。ほんとに殴れば静かになる場合がある、だからそれを正当化の
理由にされる、じゃなぜ殴れば静かになるのか、これは誰も説明できない。関係者がいるとあれ
なんで、某ころろというところはね、本に書いたりなんかして、かつてほんとかなと思って、話
を聞きに行って、見せて貰って記事に書いたんですけど、あそこは無闇に殴っているわけではな
くて、色んな熟練した人が親の前で殴るとか、限られた回数殴るとか、変なこと言っていると思
うでしょうが、まーそういう所なんですけども。何故殴るとおとなしくなるのかというのは、や
っぱり僕はふに落ちなかったんですね。これは、薬を例に考えて貰うと良いと思うんですが、薬
ってどんな薬でも副作用があるんですよ。その薬が認可されるには、何故この症状には効くのか
というのを、地検で膨大な実験を通して証明されないと認可されないんですよね。しかも、どん
な副作用があるのか、どんな薬でも副作用があるから、投与するとどういう副作用があるか、ど
ういう患者には投与しちゃいけないか、きちんと細かく使用上の注意で書かれているわけです。
その上で、薬は投与されるんですよね。障害者を叩く行為がほんとに効くのなら、何故効くのか
を科学的に証明して、で、効くからには別の副作用があるはずなんで、どういう副作用がその時
あるのかというのをもっともっと科学的に論証して欲しいと思うんですよね。専門家の人には、
是非それをやって下さいといつも会う度にお願いしてるんですけど。実は、その場ではおとなし
くなっても、それは怖かったり、なんかの刺激に対して一時的におとなしくなるだけであって、
より恐怖感だとか不信だとか、深い所に傷を作ってしまって、もっともっとその人の行動障害を
助長するような要因を実は育てているんじゃないかと、多くの人が言い出しています。
それを遡ってなかなか証明できないだけで、いま、色んな先進的な施設では研究されているんで
是非、これはやっていただきたいなと思っているんですね。

今日は、私自身親ですし、障害者の親の立場の方達が結構来ていると思うので、この機会に是非
みんなで考えたいんですけども、私、この障害者の虐待とか権利侵害を考えたときに、いつも親
というのは一体なんなんだろうなと、いつも壁にぶつかるんですね。アカスでもしらかわ育成園
でもそうですけども、苦しめられている障害者を助けようと思って僕らが行って必ず立ちはだか
るのが親なんですよ。それをなんとか説得して退かせようとするのも親なんですよね。アカス事
件のときにある親に言われたのは、こんなかわいそうな子を働かせてくれるだけであの社長は神
様なんだ、少々ぶたれたってしょうがないんだ、あそこの会社が潰れたらあなたはどうしてくれ
るんですかと言うんですね。しらかわ育成園でも同じことを言う訳です。親は一番障害者を守る
立場にあるけれども、実は一番障害者を抑圧しているのも親だと思うんですね。
以前、育成会の機関誌で手をつなぐという機関誌があって、その中の特集で座談会に出たんです
が、そのテーマが手を離すという座談会で、その時私が行ったのは、親は一生懸命子供を守ろう
と思って手をつないでいるだけで、実は子供が社会と手をつなごうとしているのを妨げているだ
けじゃないか、親が一番子供を抑圧しているのに何故気が付かないんだとさんざん言ってしまっ
たことがあるんですけども。
文京区の例の事件だって、毎日新聞を名誉毀損だって訴えてきたのも16人の親ですからね。施
設がけしかけてやってるんですけども。
アカスの時は、目の前で自分の娘が木の棒でぼこぼこに殴られているのを親が止められない。後
で聞いたら、社長に愛想尽かされたらどこにも行き場がないからと言うんですよね。
しらかわ育成園の時にも、毎日10種類薬を飲まされて、廃人同様になった子の親はりっぱな人
でね。社会的な地位の高い人で、弟かお兄ちゃんがお医者さんなんですよね。そんな親でも自分
の子供が廃人みたいになっているのをなかなか止められない。
私自身も、自分のこと隠しているのも不公平なんで言いますけど、うちの子が3歳の時に母子通
園室に通ってたんですが。その時に、何故かストレスが溜まると道端の石を口の中に入れちゃう
という変な時期があったんですよ。で、職員の人と話していた時に、石を口に入れだしたんです
ね。僕は気が付かないでいたら、その職員があっと言って、なんてことするの言ってほっぺた叩
いて石を吐き出させてんでよ。その職員はね、こんなごついオカマみたいな人なんですよ。で、
こんな分厚い手で叩いたもんだから、3歳のうちのかわいいかわいい子が鼻血を出しちゃったん
です。わんわん泣いて鼻血を出してこっち、親を救いを求めて見ている訳です。僕はその施設が
すごく好きで、すごく信頼していたんですよ。というのは、障害児を持ってからはもう、ものす
ごくショックを受けて、打ちひしがれちゃって、親ってみんなそうだと思うんですけどね、職場
に行っても、事件の現場に行ってもぼーっとしているだけで何しているか分からない。昼間も愛
知県警の記者クラブでぼーっと座っていて、気が付いたらNHKのテレビの画面だけが流れてい
る前でぼーっとしているのが何日もあり、絶望感の・・・奈落の底に突き落とされちゃったよう
な気分でね。誰もいない砂漠の真ん中に親子3人取り残されちゃった気分になりましてね。
いろんなとこ回ってもどこでも自閉症については説明してくれるんだけど、納得させてくれない
わけです。で、色んな所を回りに回って、最後にたどり着いたのがその施設で、その施設はね、
派手な女性の園長で、亡くなったんでしたっけ、塩沢ときさんていましたよね、ああいうタイプ
の女性の園長で、塩沢ときさんにもっと・・・あ、まだ生きてらっしゃる、すみません・・・・
塩沢さんに金粉をまたふり撒いたような強烈な園長で、その時は彼女は自閉症は何かなんて全然
説明もしなくて、いきなりハハハと笑って、いやついに新聞記者も来たかね、どこでもこういう
子って生まれるんだよと言って、とうとうと、うちにはどんな親の子が通ってきているのかとい
うのを話し始めて、で、悪いけどあなた自閉症というのは治らんよと面と向かって言ってくるわ
けですよね。で、治るなんて思ったら困るんです、と名古屋弁まる出しで、治らんけどすごく可
愛い子になるから、可愛い子だから、良さがあなたも分かるようになるから、一緒に歩いて行こ
うよ、と言ってくれたんですよね。その時やっとなんか、砂漠の中に取り残されてるのは自分だ
けではない、やっと自分の前の視界に人が現れてきたような安心感があって、その施設が大好き
だったんですよ。で、その職員がまた大好きだったんですよ。アカマの趣味はないんですけども、
そのアカマみたいな職員が大好きだったんですよ。その彼に叩かれちゃって、その瞬間僕はどぎ
まぎしてどういう風に自分を説明したらいいか分かんなくて、で、困っちゃって、その職員はす
ぐに誤ってくれたんです、ごめんなさいって、こんな親の前で殴っちゃって、親の前じゃなきゃ
良いのかっていうことですけど。だけどその時自分は我が子に、お前がそんな石なんて口に入れ
るから先生は、こうやっちゃったんだよと先生をかばっちゃったんですね。うちの子はじーっと
悲しそうな顔をして見ていたんですけどね。その顔が、今でも覚えているし忘れられないんです
ね。で、何を言いたいかというと、その時には僕はその施設から見放されるというか、疑ってい
るんじゃないかと思われるのが怖かったんですよね、すごくね。一点の曇りも見せたくなかった
んですよ。今でこそずうずうしく権利擁護だなんだってやってますけど、親の心理というのは複
雑というか屈折したほんとに、変なもんだと思っているんです。だから、アカスの時でもしらか
わの時でも、こんな子雇ってくれてあの社長神様なんだという、親の言葉を免罪符にしないで欲
しいですね。親というのは、一番子供を傷つけたり抑圧したりする立場であるということを、よ
くよくみんなに分かって欲しい。で、ここに幾つかアメリカに行ったときの記事があるんですけ
ど、僕はアメリカに行って学ぶべきことがあったんですが、一番衝撃を受けたのは、親に対する
トレーニングっていうのを一生懸命やるんですよ。親というのはどういう存在なのか。場合によ
っては、子供を一番侵害しているのじゃ親じゃないかということで、客観的に権利擁護団体が、
障害者本人と親に対するトレーニングにすごく力を入れてやっている。本当に子供を一番守りたい親
をきちんと守れるようにする。あるいは、自分で自分の子供を守れなかったらよその親がよその
子を守る、そういうことだったら簡単に出来ると思うです。そんな親のネットワークを如何に作
っていくかということをやっているというのが非常に僕には参考になりました。日本ではともす
ると、親との愛情とか躾というのは、改めて誰かに教わらなくても元々生来備わっているものな
のだとずっと思われてきていたと思うんですが、決してそんなことはないと思うんですね。やっ
ぱり、今こんな時代になっちゃって、大家族も無くなっちゃったし地域社会も無くなってる所が
多いし、こういう時代だからこそそういう客観的なトレーニングが求められているんじゃないの
かなという気がしています。
権利擁護について、これからどう考えていくべきかということを、もっと話したかったんですが
時間が来てしまったので、一度ここで中断させていただきます。
どうも有り難うございました。 

講演:野沢記者

 

  < 講 演 で の 質 疑 応 答    会場からの質問に対して野沢記者が回答

Q:2点有るんですが、ご講演の後半なんですが、三大事件の後に権利侵害を隠すことが恥だと
  いう後に、3つの行動ということが、虐待を受けたときにとる3つの行動かよく分からなか
  ったんですが、辞める・夢を捨てて言いなりになる・上司など会社と戦う、どういう場合の
  3つの行動だったんでしょうか?

A:例えば、施設などで虐待とか権利侵害が起きたとしますよね。それを職員の方が見つけて、
  おかしいことはやめましょうと言う時に、上の方針とぶつかるわけですよね、その時に職員
  はどういう身の処し方があるわけですが、大体その3つ位しかとるべき道というのはないの
  じゃないかと思ったんですよね。大体の場合は、みんな辞めていくか、上に従っていくかと
  いうケースが多い。大体孤立しちゃう、秩序を乱すということは、嫌われるというか、元々
  権利侵害がいけないのに、それを指摘することで職場の秩序を乱すことがいけないみたいな
  ことにすり替えられちゃう、障害者の問題だけではなくどこでもそうですよね。

Q:あと一つ、非常に基礎的なことでちょっと・・・、自閉症のお子さんを持っておられるとい
  うことですが、僕は分からないのですが、知的障害と自閉症とはどう違うのでしょうか?

A:大きく言えば、知的な色んな社会に対するハンディキャップを持っている障害、ダウン症も
  いれば自閉症もいれば脳性麻痺の方なんかもいますが、医学的には自閉症と知的障害は違う
  んだという風に主張されている方もいます。ただ、僕は社会の中での障害者の問題を考えて
  いく上では、自閉症も知的障害という括りの中に入れて普段考えています。ただ、色んな立
  場の方に誤解を与えるので、敢えて自閉症と知的障害を分けて言ったりしています。社会的
  な問題としては同じ知的障害という中で捉えています。

Q:精神障害者の当事者なんですが、僕たちも社会的な受け入れる資源があれば、精神病院から
  退院できて、社会的に阻害される方達が少なくなって、ある意味で障害のある人の権利が行
  使されることがあると思いますが、それ以前に、一般に健常者の方が犯罪を犯す確率よりも
  精神障害者の場合の犯罪の率が低いと言われているんですが、実際新聞記事になったときに
  センセーショナルに書かれてしまい、おまけに最後に精神病院通院歴があるとかを書かれて
  実際に暴力は受けていませんが、言葉の暴力を受けていると感じています。例えば、最後の
  通院歴という表現がどうして必要なのかということを質問させて欲しいのですが。

A:これは、ここ何年もずーっと論議されています。社内でも論議されていて、良いか悪いか論 
  議はありますが、新聞というのは実名主義ですから、一般の人が名前を出されるんだったら
  通院している人だって名前を出して、その代わり通院歴とか通院しているということは出さ
  ないというのが、僕は本当なんじゃないかなと思って、会社の中ではそういう風に主張して
  います。
  名前を伏せて通院歴とか病名だけ載せると、犯罪を犯した人が消えちゃって病気が犯罪を犯
  したみたいな印象を植え付けてしまう。それは止めた方がいいんじゃないかなと思って言っ
  ているし、全日本家族連合会の中でもそういう主張が多くなってきていますね。なんでもか
  んでも全部載せるなというのではなくて、精神障害の方でも犯罪を犯した場合にはきちんと
  した責任を取らされて当然だと、その代わり何もかも病気のせいにしないでほしいという風
  に全家連の方達から何度も聞いたことがあります。そういう方向で進んで行くべきじゃない
  かなと思っています。ただ、会社の中には色んな考え方の人がいます。会社の中でもそうだ
  し、各社によってはまちまちだと思います。それぞれの色んな事件が起きる度に、新聞を全
  部読み比べてもらえばわかりますが、それぞれ違います。事件が起きた段階で言われている
  ことと、実際に起訴された後になってわかることとが全然違いますね。最初は慎重になって、
  精神障害の方とわかった場合に、基礎段階になって責任を問えないということになって、そ
  ういう判断になったときには新聞は書かない、法的な責任を取れないと時には書かないとい
  うことになっていますので、その予防策として名前を伏せたりしています。ではなぜ名前を
  伏せるには名前を伏せる理由がいるので通院歴を出したり病名を出したりしています。
  もっともっと論じていくと、これは犯罪報道を実名でやるのか、それともスウェーデンみた
  いに全部匿名でやるのかという問題にもなっていくし、犯罪被害者をどうやって考えていく
  のか、その辺の色んな複雑なものはなかなか混み合っていて、私の意見は先ほど言った通り
  なんですが、なかなか色んな多面的な論議を重ねていかないと答えは出ないのではないかと
  言うのが正直なところです。

Q:もう少しお願いします。僕があちらこちらでお願いしていることは、通院歴という段階です
  と、治療が中断されているのか継続中であるのかという問題があります。僕らの場合多くの
  先生から聞きますと、中断をやめると再発率が高いというのは聞いているんですけど、再発
  したからといって犯罪に一概に結びつくわけじゃないんですが、ただ通院歴というふうに書
  かれてしまうとその方が中断中なのか今継続中なのかという問題で、例えば中断中と書かれ
  た場合ですと、僕は比較的慢性病と言われていますので精神病院とかクリニックに比較的に
  継続して通わなければいけないんですが、ただ通院歴とだけ書かれると病院に行くことすら
  拒否しちゃったり、あるいはこれから病院に行こうかなという方の足かせになっているよう
  な感じも有るんですね。ですから、通院歴という表現が診察に結びつく、早期治療に結びつ
  くような表現が別にあって良いのではないかと思うのですが。ここで結論は出ないのでしょ
  うから、持ち帰っていただいてご検討いただきたいと思います。

A:そう思います。通院歴って、何も精神科の通院歴だけではなくて誰しも色んな通院歴、病院
  に一度も行ったことのない人っていないわけで、精神科に通院していることがどれだけ犯罪
  と結びついているかというのはもっともっと検証していかなければいけないとは思っていま
  す。ただ、新聞というのはその日その日に発行していく時間的な制約があるというのも事実
  なんです。その辺を、どうやってより実体に近づけていくかということを社内でも議論して
  いますので、僕はできるだけその辺をクリアしていきたいと思っています。すみません、色
  々矛盾があるんですね。

Q:ありがとうございました。相反することを二つご質問させていただきたいのですが、私いつ
  も気に病んでいるのは、私にも一人障害の子がいまして、我々親が年をとって子供の面倒を
  見きれなくなったとき、その子供はどうなっていくのか、親戚とかが引き取ってくれれば良
  いのですけど、今の社会そう上手くはいかないと思うのですね。ですから、本当に我々が面
  倒を見きれなくなってきた時にどうやって子供は生きていけば良いのか?
  もう一つは、明るい方に移りたいと思うんですが、今これだけ科学が発達していれば、まだ
  障害というのは原因が分からないとは思うのですけど、薬で治すとか、そういう科学的な方
  法というのは進んでいるのか、あるいは考えることもないのか、その辺分かれば教えていた
  だきたいのですが。

A:最初の質問ですが、建前では何とも言えるんですけど、親の立場で、実際のところ僕だって
  そう思いますよね、自分が生きているうちはなんとでも守ってやるぞと思うけれども、自分
  が死んだ時どうなるのか、僕は41ですからたかだかあと2,30年、僕が死んだ後子供は
  何十年か多分生きるでしょうから、その間の人生をどうやって誰が支えてくれるのか、本当
  考えると僕自身も不安です。ただ、自分が生きているときには自分で全部面倒見ようと思う
  とそれで果たして子供は幸せなのかなと思うんですね。以外に、一生懸命見ているつもりで
  も、先ほど言ったように自分で抱え込んでいて、その子の人生という物を実は台無しにして
  いるのではないか。障害を持った子を外へ出すというのは不安ですから、何とか被害に遭わ
  ないようにとか傷つかないようにと思うんですけど。ただ、人間って色んな人生で冒険する
  じゃないですか。外へ出ていって、傷ついたりなんかして、そういう所から学んでいって、
  だけど、そういうことが嬉しかったりするじゃないですか。で、前にもあったんですが、北
  海道から東京に出てきた方が、犯罪の片棒を担がされちゃったり被害者になったりして傷つ
  くんだけど、そして、みんなやっぱり、ちゃんと面倒みなきゃいけなかったなと思うんだけ
  ど。でも彼自身は、ひょっとして客観的に見たら愚かだなと思われるかもしれないけれど、
  そういうことをやることの方が、彼にしては良いかもしれないですよね。僕の知り合いの知
  的障害の方で、一緒にステージという知的障害の新聞を作っている編集員、彼は今フィリピ
  ン人のホステスさんに入れあげちゃってるんですよ。こんな不況で一生懸命働いたお金を貢
  いじゃうんですよ、プレゼントで。ビール飲む度にやめなよ、騙されてるんだからと言うん
  だけど、いやー、僕は絶対そんなことはない、純真だとか言うわけですよ。僕の子供がそん
  な風にしたら、家に鍵をかけてそのホステスさんと会えないようにしてやるという位に思う
  んですが。でも、それで一文無しにされちゃったって、実は彼の人生にとっては幸せかもし
  れないですよね。自分が死んだ後どうやって保証していくのかというのは、それは自分が生
  きているから少々危ないめにあったってと、こんなこと言えるんですけども。でも、自分が
  亡くなった後、どうやって、誰が支えてくれてるのかなというのを考えなければいけないで
  すよね。
  これからはそれを実は話し合いたいと思って来たんですよ。障害者が施設から地域にどんど
  ん出てくるようになります。ある試算では2010年までは、ずーっと入所施設は相変わら
  ず増えていくけれども、その後がぐーっと減っていくと言われていますね。
  厚生省はそういう試算・プランを立てています。減っていくのは何故かというと、施設から
  どんどん地域に出していく。地域の方にお金を注ぐようになって、入所施設にはお金を出さ
  なくなっていく。それによって施設を無くして地域で過ごせるようになっていく。施設より
  地域の方が怖いと思うんですよ、僕は。施設は大変抑圧的で管理されていて、障害者本人は
  苦痛でしょうけれども、逆に言って守ってくれているわけですよね。地域ではもっともっと
  怖いですよね。僕が愛知県警を担当している時に、2件子供が誘拐されちゃって、1件は救
  出されたんですが、1件は犯人に生き埋めにされて顔をスコップで殴られて殺されちゃった
  という悲惨な事件がありました。2件とも知的障害のお子さんなんですよ。新聞はどこも書
  けませんでした、僕も書けませんでしたけれども。この前会った名古屋の5000万円恐喝
  事件、あれも地元では知的障害だと言われているんです。なぜお母さんはあんなに5000
  万も、亡くなったお父さんの保険を崩してまで金を渡して、それを全部身ぐるみ剥がされて
  5000万も恐喝されたでしょ。なんで、お母さんそこまでお金を渡したのかと言ったら、
  お母さんも知的障害だと地元で言われているんですね。それを書いたら僕は少年の弁護士さ
  んに怒られましたけど。本人が知的障害だと言っていないのになんで勝手に知的障害だと言
  うんだと怒られたんですけれども。もっともっと悲惨な例が沢山あって、もう止めますけど
  も、地域の怖さというのはそういうところにあると思うんですよ。だからこそ、レジメの一
  番上にある権利擁護がなぜ今必要なのかというところに立ち返って、地域は本当に自由で障
  害を持っている本人にとっては施設なんかよりも何倍も何千倍も楽しくて言い場所のはずな
  んです。だけど、怖いんです。だからこそ、権利擁護、最低限の殺されない、傷つけられな
  い、金を取られないこの辺の最低限の所だけを守ってやれる、自分が死んでも守ってくれる、
  そういう地域を作りましょうよ。そういうシステム、ネットワークを作らなければ安心して
  死ねないですよね、僕ら親はね。これからはイヤでも施設から地域に入ってくるわけで、自
  分が死んだ後は一生面倒見てやるとみんなで騙されて、費用を何百万も何千万も払って施設
  に行く子供は不幸ですよね。きっと不幸ですよ。どんな良い施設だって子供は地域の方が良
  いと思ってくれるはずだと。本当に良いと思ってくれるためには地域にちゃんとした権利擁護
  のネットワークを作らなければいけない。そしてそれを考えましょう。

  もう一つは薬でしたか? それは阿部さんがメールで散々やられているので、後で阿部さん
  に聞いていただければ良いと思いますが。科学として解明していってもらいたいし、それで
  治れば・・・アルジャーノに花束をという本や芝居を見たことがありますか? 知的障害が
  治る薬ができちゃうんですよ。飲んで治って天才的になっちゃうんですよ。だけどその時に
  彼は不幸のどん底に落ちちゃうんですね。何故かというのは今度読んでみて下さい。本当の
  人間の社会ってなんなんだろう、人が社会の中で生きていくのはどういうことなのか、本当
  に考えさせられる。個人の能力が伸びれば幸せなのか、そうではなくて、人間の幸福とは個
  人の能力とは別のところにあるんではないかという。科学として解明していくことは大賛成
  だし、やって欲しいけれども、障害者にとっての幸福というのは、そういう物差しじゃない
  ところで築いていかなければいけないなと思っています。

Q:先ほどの質問にも若干関連するのですが、知的障害のある方を取材対象にする彼らの権利擁
  護については、どんな考え方で臨まれたのでしょうか? 具体的な配慮方法なども含めて教
  えていただけませんでしょうか?

A:取材する際にということですよね?
  これは、知的障害の場合に限らないのですけれども、被害に遭われた方に取材する場合には
  相手がイヤだと言った時には無理には取材しません。する記者もいると思いますけれども。
  私はやりません。こちらの主旨とか自分の立場とか気持ちとかを相手に伝えて、それで話を
  聞きたいという事を言って、それでOKしてくれた方だけに取材をしています。それと、取
  材する場合に、知的障害だからなかなか本当のことを言えないのじゃないかとか、間違った
  ことを言うんじゃないかという世の中の考え方って結構多いですよね。僕ら取材班の中にも
  そういう考え方が無いとは言えないです。ただ、僕はコミュニケーションの仕方が僕ら一般
  の人とちょっと違うだけで彼らの言っている事の真実性というものは、決してそのレベルが
  低いとは思えないんですね。
  アメリカに行った時にですね、資料の最後の方の記事にありますけれども、こんな研究をし
  ている女性がいたんですね。一般人の女性と知的障害を持った女性の記憶力と証言能力がど
  う違うかということを研究しているんです。知的障害を持った女性のグループと一般の女性
  のグループを分けて、同じビデオを見せて、それは性的な被害を受けたという事を想定する
  ようなビデオなんですが、それを見せて。その後に色んな質問をして、どれだけちゃんとし
  た答えが返ってくるかというのをずっと色んな実験を重ねてやっているんですけども。その
  彼女の調査で浮かんできているのは、一般の人も知的障害の人も記憶する能力というのはほ
  とんど変わらない。記憶を保っている能力も変わらない。喋る能力もあまり変わらない。何
  が変わるかというと、どういう誘導尋問に対して違った答えをしてしまうか、そこがすごく
  違うですよ。つまり何かというと、彼ら自身に問題があるんじゃなくて、彼らから話を聞く
  聞き出し側に色んな問題があるんじゃないかと言われているんですね。心理学なんかで良く
  言われるのは、記憶のメカニズム、物を記憶に刻み付ける(記名)、保持する、記憶してい
  る物を表に出す、この3つの段階があると言われているんですけども。知的障害を持った方
  の場合には、刻み付けたり保持したりする能力はあっても、それを表に出すときの出し方に
  問題があるんじゃないかということを示唆しているんですよね。
  僕は、すごく怖いんですよね。僕ら取材行為というのは、相手から話を聞く訳じゃないです
  か。一般の人は、こういう事あったでしょと、よくテレビのワイドショーを想定してもらえ
  ば良いんですけど。嬉しかったでしょとね、答えを期待するような聞き方ってしょっちゅう
  やっているじゃないですか。僕らもやっちゃうんですよ。取材学っていうものは何にも確立
  されていなくて、すごく問題あると思って問題提起を会社の中とか協会の中でしつつあるん
  ですが。取材する側の態度によって、いくらでも何とでも答えを聞き出せちゃったり、間違
  った事を積み上げちゃったりするんですよね。
  水戸のアカス事件をやっているときに、その辺を特に意識してやったんですよ。一人の記者
  がずっと話を聞いて記事にするというのが基本なんですけども、この場合には敢えて色んな
  立場の人、僕は男ですけども、もっと若い女性の記者が女性の障害者に話を聞いたりとか、
  あるいは女性の障害者と仲のいい非常に彼女とコミュニケーションのとれているボランティ
  アさんや施設の方が隣にいて、こちらの質問の仕方をチェックしてもらったり、そういう質
  問の仕方をされたらダメとか、あるいは場所を変えたりとか、色んな場面で或いは質問の角
  度を変えてみたりとか、こういうことやりましたよねという質問をしたら次にインタビュー
  するときにはこういうことはありませんでしたよねとか、色々角度を変えて、それも学問と
  して確立されているわけではないんですが、僕なりに手探りで色んなより客観性を持たせよ
  うと思ってやったことなんですね。
  要するに、耳が聞こえない方の場合は手話を通訳として、結構裁判なんかでも多用されてい
  るし、外国人には通訳がいますよね。知的障害者にだって通訳があって良いと思うんですよ。
  被害に遭ったり逆に加害者になっっちゃったり、あるいは裁判で証人として出廷したりとい
  う時に知的障害者の方の記憶しているものを引き出すのを、きちんと引き出すのをサポート
  してくれる、そういう通訳・付添人とかのそういう制度を作っていかないと、これから地域
  に出てきたら色んな事に巻き込まれていきますから、その為の補助は絶対必要だと思ってる
  んですよね。あまり答えになっていないかも知れませんけれども、僕らは知的障害の方も一
  般の方と同じくらいの証言能力があると思っていますから、それを上手く伝えるためには何
  らかの補助が必要だと思う、その補助をどうやって作るかというのをこれから考えていきた
  いと思うんですよね。
  この、アメリカの記事の一番最初に載ってるこの女性のマリリン・ジョンソンさんという刑
  事さんですけど、この人はランバード警察の精神障害者の専門の刑事さんです。僅か60人
  しかいない署で一人専門の刑事さんがいるんですよ。彼女はものすごく研究していて、尋問
  方法なんかを大学で学んだりして、いかにその障害者の証言を裁判の場でも通用するものに
  引き出して支えていけるのか。彼女が言っていたのは、自発的に障害者が自分はこんな被害
  を受けたと言った場合には100%そういう事実は自分の経験ではあったと言っていたんで
  すね。それを聞いたときには非常に嬉しく思ったんですよね。日本でも、どんどんそういう
  研究をやってもらって、それを実践の場で制度化していくことが求められているんじゃない
  かなというのを痛感しています。

質疑応答

 

 <市民会議(パネルディスカッション):「地域であたりまえに暮らすために」>
                パネラー:安藤さん、野沢さん、寺本さん、岡部さん、山本さん

佐野さん(司会)
 リード役はデイセンターやまびこの安藤さんです、バトンタッチをします。

安藤さん
 これから1時間ほどパネラーのみなさんとはなしをしていきます。パネラーの紹介をします。
 寺本さんです。ピープルファウスト話し合おう会の支援者の方です。この会は、知的障害者
 のご本人の方の集まりです。岡部さんです。市民会議の立ち上げをなされ、事務局をされて
 います。山本さんです。社会福祉協議会の方です。それでは、お一人5分ぐらいでご自身の
 活動の紹介を含めてお話をお願いします。

寺本さん
 私は、先ほどご紹介を受けました。ピープルファウスト話し合おう会の寺本です。
 この会では、知的障害者の方が主体なり、自分の権利と暮らしについてはなしあっています。
 その中ででてきた問題を解決していくことを他の方々の協力をえながらおこなっています。
 レクリエーションもときどきします。先日、ピープルファウストの全国大会がありました。
 野沢さんのはなしを聞きまして、野沢さんはいろいろ虐待についておはなしをなされました。
 その事件自体は表にでてきているんですが、そのあとどうなるかが弱いです。本当に生活を
 支えるには、地域で仕組みや支援を整えるのが最大の権利擁護ではないでしょうか。
 知的障害者はまだまだこれからでしょうが、身体障害者のほうが先行しています。東京都に
 公的な制度もあり、24時間介護で、そういった自立生活ができます。昔より、働けない、
 助けてもらっても、自分の人生を考えてやっていくが自立みたいに変わってきています。
 10年から50年のあいだに定着しています。そういう仕組みを当事者自身が作りだしてき
 ました。ようやく知的障害者そういうながれがでてきました。ある意味、身体障害を持つ人
 が先に作ってきたという歴史もありますし、そういった人たちと活動してつくってきたこと
 もあります。例えば、東京都ではまだ実施しているところはないのですが、今年からガイド
 へルパーの制度があります。ガイドヘルパーは、外出するときに付き添う支援者のことです。
 都のレベルでは、制度化され、実施になると、市町村に任されているので、まだ動いていま
 せん。武蔵野市に働きかけ、都の方で仕組みができていますので、働きかけて、どんどん市
 がガイドヘルパーが成立するといいんですが。ホームヘルパーやグループホームについても
 ですが、数は少ないですけど、グループホームにおいて、以前は働いていないと入所できな
 かったですが、生活保護を受けていても入所できるようになりました。ホームヘルパーにつ
 いても障害3・4級については、okとなりました。もうひとつは、関連しますが、野沢さ
 んが紹介された虐待より、むしろ、見えない日常的な権利侵害が多くて、言いにくいのです
 が、人を傷つける方にどうするか。
 例えば、ある施設で、かいせんがはやりました。施設としては、利用者全員を1ヶ月間ぐら
 い外出禁止にしました。職員に関しては、外から自由に出入りokというかたちをとりまし
 た。私も当初は、そういう対処もありかな。とおもいましたが、調べてみると、かいせんは、
 ほかの風邪といった病気の方が感染力が強いとわかりました。かいせんは、ちょっとしたこ
 とでうつらないまして、外出禁止にするところではないことがわかりました。
 逆に施設が隔離をおこなうことで、人権侵害をおこしていると。知らない、無知、当たり前
 ということで人権侵害が見過ごされていることがあるんじゃないか。そういったことを感じ
 ました。

山本さん
 社会福祉協議会の山本です。私が、なぜここにいるのかお話をします。江上代表のおはなし
 にありましたが、社会福祉協議会は、だれもが、安心して住みなれた地域でその人らしく、
 しかも、その人が尊厳をもって自立した生活ができる豊かな町をつくりたいをモットーに
 しています。自立には、必要な援助や介助はもちろん、ただ、そういう町を作りたいもあり
 ます。そして、武蔵野市地域社協を組織しながら活動しています。この立ち上げの出来事を
 考えると、安心して地域つくりたいが、安心してできない人がいるんではではないか。安心
 した地域作りを考えながら仕事をしているのに、日々不安にされているお年寄り、障害のお
 持ちの方は、自分の子がどこにいったのかと、安心できていないのでは、今さらながら気づ
 きました。そこでこういう活動がおこってきて社協としても安心した地域をつくりたいので
 かかわっています。野沢さんのおはなしの中でありましたが、社会福祉六法の法律が変わり、
 個人の自立を基本にその人たちが選択ができるようになりました。今まで、施設にいたひと
 が地域で生活していくこととなり、地域が支えられるか、まもなく地域の実力が試されると
 きがくるんだ、そのときにならないと答えがわかりませんが、今のネットワークでは不十分
 であります。そこで、今日は、どうやって支えていくのがいいのか考えてみたいです。
 それと、もうひとつ価値観についてです。今、われわれのまわりの価値観がひとつになって
 いるのではないか。私もたまにですが、障害のある方と活動をするときがあります。
 その時に、時間がとまっているような、自分をみつめるようなときがあります。そういう
 立派な価値を障害をもった方が私に与えてくれているんだ。今、学校教育の現場では、運動
 会でも1等賞をつけずいろんなことをやっても何にもない、みんな平等にしています。成績
 だけが尺度としていると思います。いろんな人がもっている多様な価値観を認め合うような
 地域にしたいです。今、ここに参加していますし、その方策を考えたいです。

岡部さん
 岡部と申します。わたしも7歳の自閉症の親でありますし、吉祥寺で小さなカフェをやって
 おりますし、3年程前に、武蔵野東学園という地域の学校に通わせるためにこちらのほうに
 やってきした。障害員のある方や当事者の関係者、こういった人達のネットワークを作りた
 いと思って小さな店をつくりました。心のバリアフリー市民会議では、事務局と
 障害のある方や家族の支援とネットワークのためのホットラインの方を担当しています。
 そのホットラインのほうを説明してみたいです。今回の市民会議発結成の事件がありまして、
 メールでうけまして、関わっていきまして、そういう経緯からも、そういうことにある程度
 関わっていく、当事者や家族から声を聞くことやそれに前向きに問題を解決していく、ホット
 ラインを運営していくことは大事だと。後で、資料編の最後のページに説明がありますので、
 インターネット、携帯電話、当事者や家族から受ける体制を作っています。相談というより
 も、連絡をうけて私自身が現場にいき、原則的に当事者の方を支援する立場、コーディネー
 ターとして問題の仲裁にあたりたい。こみいった問題、私自身できない問題、市民会議の方
 で、また、市民会議にいる専門家の方と協議していく体制を取っています。現在、法律の専
 門家がいませんので、そういった方が参加されることをのぞんでおりますし、将来構想にも
 ありました権利を守っていくセンターものつくっていく、そういうことをやってきた半年で
 すが、徐じょに感じはじめているのですがこういうホットラインみたいな、それではだめだ
 な、地域の権利擁護、日常的な権利擁護の在り方を考えなくてはなりません。そこで、野沢
 さんの話しに通じるのですが、ネットワークをつくること、ネットワークの要になる人、人
 間の問題だなあと感じています。今回の事件、武蔵野管轄、警察の方ともいろいろお話もし
 ましたけど、そういう中で、いろんなお話をしております。例えば、交番が地域の障害のあ
 るかたに関心をもって町を守る、通達を出していただきました。副署長さんが、そういう事
 件がありましたら、副署長さんがキーマンになって、対応すると、わたしとプライベートに
 ホットラインをもって対応していこうと、事件や問題にならないようにしていこう、実行し
 ていこう。今日も何人か、武蔵野警察はじめ来ています。ある意味、地域の過程をつくって
 いこう。田無、三鷹の方もいます。ただ、刑事事件ではそういうことになるわけですけど、
 こういうことが起こる現場ということは、野沢さんのお話にもありましたが、街中だけでな
 く、施設、学校、家庭いろんな局面があります。こういうネットワークを警察の方々だけで
 なく、行政の窓口や福祉の専門家や学校の方々、親その他、市民の方々も含めて、キーマン
 となる方をつくり、日常的な交流も交えて、知識や経験をお互いに高めていこう、問題解決
 していこう、そういうことが、ある意味ホットラインというより、障害をある方を日常的に
 支えていく仕組みになっていくのではとおもいはじめています。まだまだ、市民会議の中で
 の勉強になっていくのですけれども、市民と関係の方々のお力をかりながら来年に向けて考
 えていきたいです。そういう仕組みがあって、市民が作っていく仕組みになって、はじめて、
 成年後見やガイドヘルプの制度に有効なものになるんではないか、制度だけでなく、中身は
 人ですから人のつながりなんで、そこのつながりがすべての基礎なんではないか。知的障害
 のひとのノーマライゼイションということばがありますが、地域でくらすとか、市民会議も
 地域で当たり前に暮らすとはどうしたらいいのかが目標になっているのですが、バリアフリ
 ーについても、知的障害のひとたちは人の力、これが身体障害の方のエレベーターやリフト
 の代わりになっている。担い手であるひとが育っていかなければ。仕組み作りや質の向上が
 今後の課題です。わたしも親ですし、先ほど、野沢さんのお話にもあった、手を離す何がで
 きる、いろいろあろうかと思います、唯一、自分で子供の世話をしたりとあるんですが、
 これだけは絶対というのが権利擁護だと、子供たちが地域で生きていく仕組みをつくらな
 くてはいけない、子供に残せる、最大かつ唯一のものだと、決してお金でもなく、自分の努
 力でもなく、まして、一緒に住みつづけるのではない。仕組みを作っていくことは、親とし
 て絶対にしなくてはいけない。がんばっていきたい。いろんな方々のご協力をえながらいき
 たいです。そして、ハートを通じたネットワークを作っていきたいです。

安藤さん
 地域で当たり前に暮らすをテーマにもう少し深め、広めていこうという趣旨でありますが、
 地域で当たり前に暮らすにはさまざまな支えが必要なんだ。そのもっとも重要なものは権
 利擁護なんだ。ただ、がまんするだけでなくて、本人が思っていることを声に出していい
 んだよ。本人が主張していく、それを支えていくも権利擁護だと。野沢さんに、3人の方
 のお話を頂いたのですけど、補足を含めてお話を頂きたいです。

野沢さん
 3人のお話を聞いておりますと、まとめという感じ。岡部さんにしても、ボクよく分かる
 んですよ。障害児をもっている親って、最初は、この子を何とか世の中に近づけようとし
 て療育に励んでやるではないですか。この子にちからつけようと。ボクへそ曲がりなんで、
 世の中をこちら側に近づけたほうがいいんじゃないか。この子らにとっても、世の中にと
 ってもいいんじゃないか。うちの子が通っていた施設、ボク大好きだといった施設、そこに
 学生のボランティアがすごく大勢いるんですよ。情けない学生が多いんですよ。
 どちらかというと、引きこもり系。障害児と関わっていくうちに自立して、社会に旅立って
 いくんですよ。ボクは、障害児をもって傷ついていたのは、社会のお荷物、この子らは、
 こんなに自立させている。これは、この子らには、力がある光を発しているんだ。最近は、
 ぼくら親は無償の愛情を注ぎ、この子らは、何の疑いもなく、親に投げ出してくるんです
 よね。そういう親子関係を、情けないボランティアさん達はみていて、自分たちの傷つい
 た親子関係のやり直しをしているんではないか。ネットワークの中で傷ついた親が立ち直
 っていくことを間近でみることやコミットしていくことで、自分の中で社会に生きていく
 意味、社会の中の位置、意義をみつけていくんでは。お荷物だけではなく、いまの病んだ
 日本の世の中に必要なんだと。うまく伝えるのが親の役割である。特に父親、潔くこども
 から、手をはなして、社会をわしづかみにして、自分達のこどもに世の中を近づける努力
 をやりたい。岡部さんにお会いして、ビールを飲みながらはなしたんですけど、このひと、
 おやじの気持ちわかると。名古屋のおやじは、シャイなおやじがおおくて出てこないんです
 よ。母親が出てくるんですよ。そこで、何とか父親をつれてくる作戦として、酒と若い女性
 ボランティア。一度きた父親は必ずくる。父親も傷ついているんですよ。自閉の子が、
 パニックがおきてしまうんですけど、こどもと父親が似ていないので、まわりのひとから
 心配されてしまうんですよ。だれにも言えずに、親の間では笑いばなしなんですよ、会社
 でもいえなく、傷ついたままなんですよ。仲間をつくって、はなしをすると傷ついてたこと
 が笑い話にすむといういい作用。一度、開放されるとすごいエネルギーをだすんですよ。
 世の中を障害者に近づける努力をしていかないと。ここの地域のすばらしいところは、
 警察にぐいぐいいくところなんですよ。このエネルギーがすごい。アメリカのイリノイ州
 に行ったときに、福祉関係者が重要視していたのは、警察です。地域で暮らしていた中で、
 トラブルに巻き込まれた場合、一番関わってくる公的機関が警察だからです。警察のひと
 だって、いそがしい中で、いきなり障害者の方とかかわるのでから、一諸になって考えて
 いきましょうよ。警察官に障害者の方を知ってもらうカリキュラムづくりからはじめて、
 そこに、障害者や家族、親、行政、地域のいろんな方々による委員会をつくって、カリキュ
 ラムを根付かせていくか、何年か積み重ねて、その委員会が終わったときに、本当の目的で
 あるネットワークができていた。日本は、これだな。今、動いているですよ。その時に、
 バリアフリーの会と出会ったんですよ。まさに、先をいっているんだと。本当にうれしく
 なったんですよ。こどもを世の中に合わせる努力も必要だけど、世の中をもっともっと障害
 者に近づける努力をしていきましょうよ。それが、単に障害者のことを考えるのではなく、
 ひとつのキーワードにすぎなくて、本当にひとりひとりが住みやすい世の中をつくる手段
 でいい。ほんとうに、障害者にとって、住みやすい地域なら、障害を持っていない人なら、
 絶対に住みやすい世の中なんで、もっともっと親は楽しみましょうよ。

安藤さん
 親の立場でいうと、説得力があると思うですよ。冒頭、代表が話していましたけど、誇り
 や尊厳をもっていきていける社会なによりも求められているんですけど。親でない立場、
 寺本さん、どういう動機で、支えにしてにしていらしゃるのでしょうか。

寺本さん
 いろいろありますし、うれしいことや悲しいこともあります。わたし自身情けない支援者
 ですし。ピープルファウストで活躍されている方が、仲間をつくっていく姿をみて、わた
 しも元気になっていく。元気なだけでなく、知的障害の方は、楽しい方も多いし、素直な
 方も多いし、裏を返せば非常につらい体験をされたかたが多くて。年配になる方ほど辛い
 体験が多い。地域にでれば、軽い方のほうが、職場で、馬鹿もの扱いされたりしている。
 たまに、施設にいくと50、60歳のかたが寄ってきて、かわいいね。なんとかしなくてはと
 思うんです。

会場の方
 権利擁護、障害者を守る法律について、野沢さんに聞いてみたいです。

野沢さん
 障害者虐待防止法をつくりたいです。スタンダードのをつくって、あらゆるものの精神に
 なって。障害者に対する体罰の規定がないんですよ。制度だけでなく、現場で解決できる
 問題と制度でしか解決できない問題があるんですよ。うまく機能させる問題。国民の意識
 を変えなくてはいけない問題があるんですよ。法務省に意見書を出しているですよ。
 司法の問題もあるんですよ。

会場の方
 施設の中で、働いている職員の方のチェック機関があるのかということと、現状について

野沢さん
 オンブズマン、湘南福祉ネットワーク、弁護士、親の方々が中心になってやったのかな。
 厚木せいか園かな。あそこは、施設単位で。オンブズマンの質が問われている。施設が
 うけいられるのかな。

安藤さん
 第3者の方の自己評価の方が高いんですよ。施設は外部の人が入ってくるのを嫌うんです。
 やまびこでは、ボランティアの方も400、大地1000人。施設にいろんな人がでいり
 することが重要なのかな。

会場の方
 翼の会のはなしです。精神障害者も地域でくらしていくには、問題があるそうです。
 社会の方々に、精神障害者はどういう人間なのか知ってもらいたいです。


会場の方
 ゼロからプラスにする、夢について

山本さん
 個人がそのひとらしく生きていく、実現できる仕組みが必要では。

岡部さん
 子供がいろんなところにいきました。いろんな出会いも子供がくれたんです。
 楽しい、もたらしてくれた面をみていくことで自分の人生も楽しくなっていきます。

寺本さん
 つらい体験もありますけど、あるひとは、障害をもってうまれてきたけど、こんだけの
 人に会えたので。

野沢さん
 障害がマイナスなのでなく、今の社会で生きていくにはマイナスの部分がある。日本の
 社会の一般的なところにあわせていくところにマイナスがあると思うんです。

安藤さん
 地域で当たり前にくらすということを問題提起したということで。
 わたくしも仕事の中でご本人が大きな声をだしたりしながら胸のうちを訴えているんです。
 そこで、大事なのは、安心感というものでしょう。
 まだみえぬ契約社会に進んでいくにあたって、ご本人を支えていくには、何なのか野沢さん
 の講演やパネルディスカッションを通じておおよその輪郭がつかめたと思います。このような
 積み重ねの中で具体的なことは生み出されてくるのではないでしょうか。それでは、終わり
 にしたいと思います。

パネルディスカッション



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