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障害者自立支援法に抗して!!
                                              岩橋 誠治


■第1回(たこの木通信222号(2006年4月20日)


 【自立支援法始まる!闘いはこれから!】

 2006年4月障害者自立支援法がスタートしました。行政や各事業所は制度移行に伴う  作業に追われ、10月の本格実施に向け未整理の部分も多く、当事者に語られる説明は、   まったく意味不明な点がたくさんあります。利用者側としてはとりあえず9月までの支給量は現状どおり、負担金も4月が終わるまでは請求がないため、法律が変わったという実感は薄いようです(多分1回目も自己負担金の請求で実感が出るのかも)
 多摩市においては、10月までに障害認定並びに支給量の決定を行うことになっています。自己負担金については、東京都が負担金の軽減措置を決め、利用者の10%負担が3%負担に軽減されました(但し3年間のみ)。しかし、自立生活をする当事者は長時間のヘルパー派遣を受けているため、3%に軽減されても結局上限額いっぱいの24,600円まで取られるという人もいます。
 そのため、負担金を払うと生活が成り立たなくなる当事者は生活保護の申請を行いました。又、これまで月々の収入で生活を成り立たせていた者も、負担金の発生によって貯金を切り崩さなければならなくなります。自立生活前、両親が万一の時に備え本人の年金を貯めていたことがかえって、本人の負担になっています。その貯金も数年後にはそこをつき、負担金が払えなくなれば生活保護を受けるしかなくなる。そのような制度を国は「自立支援」というのでしょうか?
 そんな事を自立生活をしている人の親に話すと「そんなにお金がかかるなら自立生活をやめて帰ってくれば良い」「実家にいればヘルパーを使うことが無いから」と言われる始末。すでに自立生活をしている実績があるため、実家に戻されることも無いけれど、これから自立生活を願う当事者にとって、親のそのような想いは大きく影響するだろうと感じました。
 又、現在生活保護を受けている人は負担金が0円ですが安心できません。支給単価が下がったことでヘルパーの質を下げることになりかねない。特にセルフマネージメントできない知的当事者にとっては、単価が下がり数をこなさざるを得ないヘルパーを使う  ことでかえって生活をしんどくさせる状況につながる可能性があります。
 そのような状況の中で、自立生活者に対し多摩市では単価切り下げ分の支給量を時間に 上乗せという形で、支給時間の微増を行いました。
 微々たる抵抗かもしれませんが、この先様々な人と情報交換しこのとんでもない法律に抗し、当事者の地域生活を支援していきたいと願ってます。闘いはいよいよ本番!!情報ご意見をぜひたこの木へお寄せください。よろしくお願いします。         

番外【就健〜高校進学〜障害者自立支援法】

 2月の通信で就健拒否の取り組みを報告いただきました。さらに今年の高校進学では、障がいのある子に対し「定員内不合格者」を出すという高校がありました。就健にしても障がい児者の高校進学にしても、「誰もが地域でともに生きる」想いをもって長年取り組まれてきている事柄です。長年の取り組みの結果、「就健拒否者についても受診者と同日に就学 通知を出す」ことや「(障がいがあっても)意欲と希望のある人に対し都立高校は定員を過不足なく受け入れる(定員内不合格を出さない)」ということを勝ち取ってきました。
 しかし、「前任者からの引継ぎがない」とか「都教委の指導よりも校長の裁量権で障がいのある子を不合格にする」ということがやれてしまう現実をこの間目の当たりにしました。
 そして「障害者自立支援法」も然り。あれだけ多くの当事者や支援者が声を上げたのにもかかわらず、通過してしまった。まったく持って許せない現実です。
 今のたこの木周辺では、青年たちの自立生活の話や自らが制度の利用者となることの  話ばかりで、子ども達のこと(就健や普通学級でのことや高校進学こと)については少々  置き去りになっています。しかし、今たこの木が取り組んでいることのすべては子ども達の成長とともにあること、すなわち「子ども達を切り分けない」取り組みの結果として、子ども達自身が大人になった今、自己選択・自己決定の支援を行うことへとつながっているのです。
 昔(今年も)市教委や高校校長が「子ども達の将来を考えて…」と発言していました。それは「自立支援」と同様もっともらしく聞こえる言葉のように思います。しかし…
 今自立生活をしている人たちは、市教委の就健による振り分けに抗し普通学級へ入学し、その結果として高校受検をした者を、今度は校長の裁量権でその子の人生の選択を踏みにじろうする。しかしそれに抗し高校進学や社会人となったものが今の自立生活をつかみとっているのであって、決して、市教委や校長のおかげで自立生活をしているのではまったくありません。常に抗することでつかみとってきた結果だと思います。
 そして「自立支援法」という法律によって排除しようとする社会に抗して、自立生活をしているのです。
 当時「子ども達の将来」といわれた時に、子ども達の将来を信じる・願うことはできても具体的なものは何もありませんでした。しかし長年の取り組みの結果、大人となった当事者が持つ世界は非常に広く、信じて取り組んできたものが今目の前にあるように思います。
 しかし市教委や都教委がいうところの「子ども達の将来」とは子ども達自身の将来ではなく、「将来、障がいある者が社会にいては困る」故の発言でしかないように思います。
 それが、まさに「自立支援法」によって一生涯抗し続けなければ社会にい続けられなくなる法律を生み出したように思います。
「支援」とは単に個別の障がい当事者の生活をカバーすることだけではなく、当事者を取り巻く事柄のすべてにおいて意識をめぐらし、抗する相手の存在を当事者とともに担っていくことだと思います。
 私たちは「自立支援」と言う美句で飾られた法律に対し、当事者の現実から「自立」とは何か?「支援」とは何か?を考え、この法律を通過させてしまった者としての何をすべきかを考える必要があると思います。それは単に「福祉」の枠ではなく個々の「生活」の中での課題として様々な場面での連携に努めることでなし得ると思うのですが…  


■第2回(たこの木通信223号(2006年5月20日)


【新しい契約はお済ですか?】

 自立支援法に変わったことで、4月より事業所と再度新しい契約書で契約し直すことに なっていますが、皆さんはすでに契約はお済でしょうか?
 この新しい契約書について、私自身は法律が変ることに伴う単なる文字の修正かと思っていましたが、現在HP上で出されるモデル契約書を見ると支援費制度で示されたモデル契約書とは違い、介護保険を前提としたモデル契約書になっていることに気ずき愕然としました。
 例えば、「能力に応じ自立した日常生活を営む事ができるように居宅介護を提供する」と 言う文字が付け加えられていたり、介護計画については事業所と利用者が相談し作るものとなっていたものが「解決すべき課題を(事業者が)把握し、介護サービスの目標やサービスの具体的な内容・所要時間・日程等を盛り込んだ介護計画」を立てることとなっていたり。そして、その本人の能力に応じ、事業者が把握した課題や目標、具体的な内容を盛り込み  作成した「介護計画に沿ってサービスを提供する」という内容が盛り込まれています。
 モデル契約書の中には、利用者と相談しとか了承を得てとか見直す事ができると言った 文言が入っています。しかし、介護計画を立てるサービス提供責任者やヘルパーには国が  考えるところの専門性(資格)が求められており、そのような専門性を持った人が作る介護計画に利用者はどこまで自らが欲する支援を求められるかといえば非常に疑問です。それは、介護保険でも明らかなように、「相談」と言う名の「説得」にしかならないと危惧します。
 まして、高齢者の居宅事業所は数多くありまだ事業所を選ぶことはできる方ですが、障がい者の場合選ぶ事業所がほとんどなく、自らの想いに合わなくてもヘルパーを利用するか、そもそも利用しないかの選択しか残らなくなってしまいます。
 さらに、そんな理不尽な派遣を受け止めきれない知的当事者は、その想いを行動で表現すれば「問題行動」と称され、更なる支援が必要とするか、施設入所・入院という手立てへと追いやられてしまいます。
 サービスに対する評価や苦情受付窓口の強化は一方で盛り込まれています。しかし、どれだけの対応者が地域で暮らす障がい当事者の想いや生活を理解し、当事者の立場から対応してくれるかについても疑問です。実際に現時点でも「わがまま」とか「本人の意思が見えないので対応できない」とか「医療機関に相談しては」と言った対応がしばしばあります。
 HPに載っているモデル契約書がそのまま使われることはないと思いますが、事業所の側も法律が変わりその対応に追われる中で、気づかず過ごしてしまうかもしれません。
 同じくモデルにするなら支援費制度下で作った契約書の法律用語のみを変更した契約書がお勧めと思いますがいかがでしょうか? 
※ちなみに各事業所のみなさん、利用者のみなさん、よろしければ契約書(重要事項説明書も)を資料としてたこの木に送っていただけれるとうれしいです。


■第3回(たこの木通信224号(2006年6月20日)


【障害程度区分認定に際して】 

 10月から始まる新たな福祉サービスの開始に伴い、サービスを受けるためには「障害程度区分の認定」を受けなければなりません。すでにみなさんのところには各市区から案内が  届いているかと思います。
 しかし、この障害程度区分認定はその中身や認定の過程において様々な問題があり、私たちはその一つ一つについて今後行政とやり取りしていかなければ、10月以降自らの生活が成り立たなくなり、自立支援法の下自立生活ではなく施設入所を強制される事態になりかねません。
 そこでまずは、10月からサービスを受けるための大まかな流れをまとめてみると、@介護給付費当支給決定申請書を提出する⇒A市職員(事業所に委託する倍もある)による聞き取り調査⇒Bコンピューターによる一次判定⇒C医師の診断書(意見書)の提出⇒D障害程度認定区分審査会による二次判定⇒E区分認定に基づくサービス内容の決定となります。
 そもそも、なぜ人を区分しなければ必要な支援を受けられないのか?今日の世界の流れにおいて「障害」とは「単にその人の能力だけを言うのではなく、その人が置かれている状況や社会環境も含めその人が受ける不利益」を指すようになってきています。又、たこの木の   規定(?)でも、「障害とは個々の関係における壁」を指し、その人の能力だけではなくその人の能力ゆえに作り得ない関係性は私たちの側にも問われる能力があると考えてきました。
 しかし、この障害程度区分認定では、本人の能力を判定することが一つの目的であり、それに続く支援内容や支給量を決めることに大きく関わっているのです。
 コンピューター判定のためにその人の能力を2〜3段階に分けて聞き取り(できる・一部できる・できない)数値化することや「特記事項」と称される数値化できない部分の何を聞き取るのか?医師の診断書(意見書)がなぜ必要か等々問題は山積みです。
 支援費制度では、その人が必要とする支援を明らかにすることで支給量が決定されてきまいた。今回は本人の能力に応じてサービス料が決められると言う点が支援費と大きく違い、その手始めとして、とりあえずこれから始まる聞き取り調査についていくつか書いてみたいと思います。

@聞き取りに際しては、できないことを強調しよう
 親にとって子どものできなさをいうことは非常に苦痛です。又当事者自身もできないことをたくさん出すのは苦痛で、ついついできることを強調したくなります。例えば、愛の手帳 (療育手帳)を取る際にも重度ではなく軽度の方向を望む人は多いと聞きます。そもそも手帳を取ると言うのは本人にレッテルを貼るためではなく制度を利用するために便宜的に取るものですから、どうせ取るなら重く取った方が様々な制度が使えます。それと同様に、個人の能力のみを問う聞き取り調査に対しては、できなさを強調しそれによって自らが使える  サービスの選択肢を増やすことを念頭に入れつつ聞き取りされましょう!!

A今後の生活実態に即した状態を伝えよう
 いつも慣れ親しんだ人ならできることでも、初めての場や初対面の人とはできないと言うなら、それはできないと言うことです。と言うのは、生活とは常に応用の世界であり、予期せぬ事柄があるのが常です。この先どのような状況であっても、必要な支援を使えば生活は成り立つと考えれば、その支援を得るための聞き取り調査に際しては、常に始めての人と  ならどうかと言うことを念頭にいれ答えていきましょう。

B聞き取られた事柄を確認しよう
〜語るのも人・聞くのも人、しかし判定はコンピューター〜
調査員には、客観性と公平さが求められます。しかし、調査員は人間であってコンピューターのようにはいきません。又受ける側も人間でその答え方によっては相手がどう受け止めるかが変わってきます。106項目に加え特記事項も加えればその作業は膨大であり、当然どこかはしょる場面も出てきます。それが双方に一致していれば良いのでしょうが、こちらが強調したこともきっちり受け止められていないこともあるので聞き取った内容はぜひ確認してください。

C第三者に同席してもらおう
 聞き取り調査は本人が受けるものでが、知的当事者の場合家族から聞き取ることも多いかと思います。行政も親には同席を求めるでしょうし、どこか本人を無視して親から聞き取ると言うこともあります。親は長年付き合ってきているのでいろんなことを判断できるし情報ももっています。しかし、認定と言う作業にあたっては、マイナスに働くこともあります。 
そこで、本人と普段付き合っている人とで聞き取り調査を受けると言うのはどうでしょうか?どうしても親が同席したなら、そこに普段付き合っている人にも同席してもらい、本人が語れない部分を親の視点と周囲の視点で伝えることでより実態に近づくと思います。

Dいろんな人に意見書を書いてもらおう
 行政にとっては余計なことかもしれませんが、当事者に関わる人は何も医師だけではありません。様々な人の様々な視点を行政に伝えることで、その人の実態に近づくことができるし、より多くの人の意見書を提出すれば、行政も下手な対応はできなくなると思います。

E障害区分認定シュミレーションソフトを使って認定作業をやってみよう。
 パソコンがある人は、自らが一度障害区分認定をやってみるのも良いかと思います。どのように答えればどのような区分になるかがあらかじめ分かるし、それが分かれば事前に対応も考えられると思います。

F障害者支援団体と相談しつつ進めていこう
 現段階に至っても10月以降の事柄が決まっていなかったり、決まった事柄も修正が入ったりして、市区行政も非常に混乱しています。そして、行政は自分たちに都合の良い情報は  いち早く把握し、都合の悪い情報は横に置く傾向があります。それに対抗するためには、  私たちも様々な情報を持って行政と向き合わなければなりません。しかし、なかなか自分だけの力では限界もあり、ぜひぜひ支援団体や障害者団体とつながり一緒に歩むことをお勧めします。そんな訳で、これから始まる聞き取り調査は、支援費制度のときの聞き取り調査とは明らかに違います。非常に腹立たしいことばかりあるのですが、実際に差し迫る状況の中では、どうぞお気軽にたこの木クラブへご連絡ください。ともに将来の「自立支援」を考えていきたいと思います 


■第4回(たこの木通信225号(2006年7月20日)


 障害者自立支援法が障がい当事者の生活すべてに渡って影響を与える分、それに抗する側としてもすべての事柄を課題としなければならない。10月の本格施行に向け国⇒都⇒市へと様々な通達が届く。そもそも机上で作られた事柄は、実際の障がい当事者の実態にはそぐわず、一度国が出したものも修正されたり追加説明が合ったり、はたまたケースごとのQ&Aが何度も出されている。それに則って市が実施の準備を進めれば、つぎはぎだらけのつじつまの合わない部分がたくさん出てきている。結局は、各市近隣市どうしどうにかこうにか体裁だけを整えようとしている。
 そんなことでは、地域で暮らす当事者にとってはたまったものではないが、当事者の側も自らの既得権を守るための闘いに走る者も出てきて、物言わぬ(言えぬ)当事者はどんどん隅へと追いやられている。又、自立支援の中身の議論よりも、時間数や予算の分捕りあいっこに終始している。
 例えばガイドヘルパーについて見てみると、自立生活をしている人たちにとっては、ホームヘルパーもガイドヘルパーも生活支援の一部であるから、これまでの実績に基づき時間数と単価の確保を求める。行政はそれに応えるために、新規の人やあまり利用していない人については時間数を減らそうとする。しかし、知的当事者の場合、利用がないからと言って必要としていないのではなく、「利用する方法が分からない」「何に利用して良いか分からない」「実際に派遣してくれる事業所がない」等の理由から使いたくても使えない状態については何の議論もなく一律カットされてしまう。又、たこの木周辺ではガイヘルを様々な形で利用し当事者の思いの実現に向け取り組んでいるが、他市を見れば「ガイヘル=余暇活動」と言う狭義のとらえ方しかしていなくて、映画やカラオケに行くためぐらいにしか使っていない。家族もそんなことだけに負担金を払うのはいかがなものかと言うことで、もっと切羽詰っている通所施設や学校への送迎に使うことを要望し、それに応えたところもあると聞く。
 通所施設への送迎が切羽詰っていることは理解できるが、果たしてガイヘルで対応するものだろうか?もっと施設側の予算で対応するものだと思う。まして、学校への送迎と言うのは、文科省の管轄であり、厚労省の予算で対応することではない。そもそも子どもたちを分ける教育の中、その尻拭い的に厚労省が対応することは、ますます子どもたちを分けることにつながりはしないかと考える。

【多摩市障害福祉課と多摩市在障会交渉】 

 去る6月29日・7月13日に多摩市障害福祉課と在障会の交渉が行われました。今回の  交渉では主に障害区分認定や自己負担金の話に終始しました。
 障害区分認定調査については前回の通信で述べましたが、多摩市としてはどのように  調査を行い、区分判定審査会ではどのように区分認定を行うのかについて突っ込んだ交渉が行われました。多摩市としては、「現時点で2例(7/13で11例)のケースしかなく認定調査と審査会での判定がどのようになっていくのかが見えていない。」「サービスを低下させないと言う約束については守るように努力はするが、私たちにもはっきりとしたことが言えない」「市としても実態に即した判定が行われることを願っている」と言うあいまいな話  ばかりで、地域で暮らす当事者にとっては不安が増すばかりでした。
 特に知的当事者にとってコンピューターによる一次判定では、当事者の生活実態とはかけ離れた低い区分にしかならず、市が設置する審査会の判断が大きく今後の支援量に大きく 作用します。そのあたり、市も審査会メンバーも受け止めているとのことですが、市も審査会も地域で暮らす障がい当事者の実態を十分に理解していない中では、今後引き続きその 動向を見守る必要があります。
 又、市から送られてきた申請書には「障害区分認定に基づき支給量を決定する」と書かれていますが、在障会としては「障害区分認定はあくまでも国庫負担金の額を決めるものであって、実際のサービス内容や支給量については、支給決定基準によって決まる」「市は国庫負担金の額に関わらず、地域で暮らす障がい当事者の生活実態や必要な支援に則し、これ  までどおりの支給ができるようその基準を設けよ」と訴えました。
 市は支給決定基準について、「8月中に基準を設ける」とのことでその前に再度在障会と 交渉するよう約束しました。

【支給決定基準とは】

 国は「障害区分認定によって国庫負担金を決めるが、個々人のサービスの上限を決めるものではない。よって、どのようなに支給決定するかについては支給決定基準を各自治体の  状況に応じて定め支給決定する」と言っています。
 前号で私は「障害区分認定は支援内容や支給量を決めることに大きく関わる」と言い   ましたが、極端なことを言えば、「大きく関わる」のは国庫負担金と言う市の「歳入」部分であって、「歳出」すなわち個々の支給量には直結していないと言うことです。
 その「歳出=支給量」を決めるのが、各市で定める支給決定基準であります。前述の交渉に参加した方が「学童クラブが法内化された時の国庫負担金では、実際の学童クラブは運営できず、市は9割方の負担で学童クラブを運営したことを振り返れば、地域で暮らす当事者に対し、その必要性を認めれば国庫負担金の額に関わらず支給決定できるのではないか」との意見が出されました。
 私自身も最近まで「区分認定=支給量」と考えていましたが、「区分認定≠支給量」であるならば、市は当然地域で暮らす障がい当事者の生活実態や必要な支援量に即して支給決定する必要があると考えています。
 この支給決定基準は、各市独自に決めることができます。そして、その基準を都に報告することになっています。又、当事者が求めるサービスが市の定める基準内であれば問題なく支給されますが、それを超える場合においては、審査会に意見を求め支給決定することに  なっています。
 よって、基準がきびしく設定されると現場職員との交渉は、審査会と言う隠れ蓑によって交渉を難しくさせられます。市はこれから基準を設けると言う前提において「区分=支給量という考え方で基準を設けるやり方もあるが、その人の生活実態に即した基準の設け方も ある」「現時点では、様々な意見が出されている段階」と言うことでした。
 例えば、前者はなら「区分3=居宅介護90時間以内」となり、後者なら「家族と同居なら90時間以内、一人暮らしなら150時間以内」と言う基準になります。もし、後者のように個々の状況に則して支給するならば、障害区分が決まった後に、再度支援費制度と同様の聞き取り調査を行い支給決定をするという順番になるかと思いますが、10月を目前にし未だ定まらない事柄が数多くある中では、どうしても前者のように機械的な基準の設け方になる可能性が高いと思われます。私たちは今後、市に対しこの支給決定基準について強行に   私たちの想いを展開する必要があると思います。

【障害区分認定シュミレーション】

 障害区分認定ソフトを使い、すいいち企画で当事者一人一人の区分認定をシュミレーションしました。知的当事者の場合どれほど重度であっても区分3にしかならず、中には非該当という人も出てきました。これはコンピューターによる一次判定のみで、身体的な障がいのない知的当事者にとってはどうしても低い判定となってしまいます。
 当然生活実態とはかけ離れているので、特記事項に何を書くのかが重要になってくるし、医師の意見書が重要になってきます。聞き取に際しては、面倒がらず特記事項にたくさん  自らの状況を伝えていきましょう

【医師の意見書】

 障がいは「病気」ではないのは明白なのに、医師という専門家に意見を求めるおかしさ。この間何人かの医師と話をしていますが、皆さん医療の現場と生活とは別でどのように意見書を書けばよいのか戸惑っています。まして、今までにかかったことのない人の意見書を  1回の診察でどう書けると言うのだろうか。しかし、医師の意見書は必要。
 そこで、自らが事前に意見書書式に記入し、それを基に医師の診察を受け、意見書を書いてもらうことをお勧めする。医師の側も診療と直接関係のない生活部分もじっくり聞いて 書く時間は取れないと思うので、お互いに助かるのでは…?

【地域生活支援事業について】

 未だ明確なものが出されていないこの事業。10月前にドタバタと適当に作られてしまうのではないかと危機感を募らせている。特にガイヘル事業や相談事業は、今後の当事者の生活に大きく関わる部分である。市は国の指示がないことや他の事柄に追われあまり考えようとしていない。しかし、制度の変わり目・今後は市独自事業になることからぜひ様々な提案をこちらから市に提案し新たなものを生み出していきたい。          


■第5回(たこの木通信226号(2006年8月20日)


【多摩市障害福祉課と多摩市在障会交渉 その2】

 前号に引き続き8月3日に交渉が行われました。今回は主に地域生活支援事業と自己負担金について話し合われました。
 地域生活支援事業は必須5事業(移動・相談・コミュニケーション・地域活動支援・補助具)とその他市の状況に応じて行われる事業(多摩市としては訪問入浴・障害者スポーツ・手話講習等)があります。個別給付(居宅介護等)とは切り離され、市の事業として行われる事になっています。
 今回の交渉で明らかになったことは、「これまで市の事業として取り組んできた事柄もあり、10月以降市としてはどの事業を行いそれぞれの事業に対してどのように負担金を課すのかを8月の庁議(市の政策会議)にかける」「詳細については課内で議論している最中であり、実施する事業が決まったところで詳細を決定していく」とのこと。又、「地域生活支援事業については、大枠での補助金が下ろされてくるが、多摩市の人口割から推測して年間3400万円程度になる。それにどれだけ市の持分をかけ事業を実施するかになる」とのこと。約2時間の交渉の中で出てきたことはそれだけで、当事者が抱く不安をよそに、「今、検討している」と決まった結果しか言おうとしない課長。「何をどのように検討しているのか?どのような 視点で検討しているのか?」と参加者は迫るも課長は歯切れ悪く、結果当事者の不安を   あおるばかりで、中身の議論がまるでできなかった。
 たこの木として一番の課題は移動介護と相談事業で、移動介護については現状を可能な 限り維持するとは言うもののその中身は明らかにされず、相談事業は委託を考えず市が行うと言うに留まった。
 次回8月28日の交渉では、支給決定基準について話し合われる。自立生活をしている当事者にとって一番危機感を持っているところでかなりの激しい交渉になると思うが、地域生活支援事業については、今後自立生活をする当事者にとってはとても重要な事柄で、交渉の時間のなさを切々と感じている。

【移動介護事業について】

 国は「個々の障害者の状況を考え柔軟な対応を行えるようにする」と言い、移動介護(=ガイヘル)を個別給付とは別の事業として行うこととした。国が考えるガイヘルは単なる余暇活動に過ぎず、この3年間で当事者がガイヘルを利用する事で、家族や作業所等の目を離れ、ヘルパーを使うことによって自らの経験や世界を広げてきたことをまるで理解していない。さらにガイヘル利用の経験が、自立生活へとつながった当事者いる事も知らない。
 自立生活をしている当事者にとっての移動介護は、居宅介護と同様生活支援の一部であり、家の中での支援か外での支援かと言うことで交渉の目標は、支給の時間数と単価を現状どうりに維持するということになる。
 しかし、今親元にいる当事者にとってのガイヘルは単なる余暇活動だけではない。自らの想いを実現するための重要な制度であることはこれまでにも通信で書いてきた。
 国は、今回の移動介護に関するガイドラインとして、@個別支援型(従来のガイヘル)Aグループ支援型(複数の当事者に対する同時支援)B車両移送型(福祉バス等車両の巡回による送迎支援)の3つを掲げている。
 @については、これまでのガイヘルなので省略し、A・Bについて述べてみたい。
 Aついては、ガイヘル利用が「当事者:ヘルパー=1:1」でなくても良いということになる。それはある面歓迎されることである。例えば、仲間と出かけるとき「外出先で切符の買い方だけを教えて欲しい。」とか「電車の乗り継ぎを教えて欲しい」「後は自分で何でも  できる。」と言う人に終始ガイヘルが張り付く必要はない。当事者複数にガイヘル1名というのは、1:1でヘルパーに付かれ何も頼むことがないのにそばにいるというのも変で、集まった当事者たちでヘルパーを依頼すると言うのは良いことである。又、負担金や利用  時間数の節約につながると言う点でもメリットはある。
 しかし、単なる「お出かけ」ではなく例えば当事者会議のような場面では、当事者自身が発言するために、会議の流れをサポートしたり、当事者の発言したい意見を整理したり、発言のタイミングを計ると言った支援が必要で、ヘルパー一人で複数の人に対応するのは 難しい。又、私たちが出かけることを考えれば、いつもグループで出かけるとは限らず、例えば買い物等、みんなで出かけて楽しい時もあれば、一人でじっくり選びたい時もある。
 私が危惧するのは、「柔軟な対応」と行政が言う時、明らかな予算削減であり、当事者にとって一人で出かけたりグループで出かけると言った場面に応じた支援を柔軟に受けると 言うことではない。
 よって、うっかりすれば「知的当事者にとってはグループ支援が前提で(グループホームの発想と同じ)個別支援は特別な人の場合に限る」と言う流れを作られかねない。私たちはあくまで当事者一人一人の支援を考える立場から個別支援が前提で、当事者達の要望により グループでの支援もありと言う「柔軟さ」を求めていく必要がある。
 それは、自立支援法になって一事業所が一事業だけでは成り立たなくなってくる中、法内作業所や生活寮がガイヘル事業を始めることも予想される。生活の場は生活寮。日中は同  事業所の作業所に通い、休日は同事業所のヘルパーを使って生活寮みんなでお出かけ。と  言う形が生まれ、いつも同じ支援者が当事者を支援すると言うことになる。親にとってはその方が安心できるのだろうが、当事者は常に支援の枠内でしか生きられず、地域に置ける「ミニ施設化」の構築につながるように思う。
 さらに、Bの作業所と生活の場をつなぐ車両移送型で作業所への送迎が認められると、ますます当事者は支援の枠内でしか地域の中で生きられなくなる。
 よって@については、これまでどおり認めるとともに、それをベースとしてAを当事者の要望に則して柔軟に使えるようにすることを求めていく必要がある。

【相談事業について】

 多摩市は、「相談事業については市が直接実施する」と言ってます。確かに、下手に○○センターに一括委託されると、地域で暮らす当事者に対する介助保障の責任が不明確になり、市は自らの責任を委託先の事業所へ丸投げすることになるので、市が実施すると言うことは良いことだと思う。
 しかし、その市が本当に事業をこなすことができるのかと言えばまったくできないと思う。なぜならば、相談事業はこれまでの窓口相談とは異なり、当事者の生活全般に渡って対応  することになる。たこの木を介して自立生活をしている人たちを例に取れば、まずはその人の要望を聞き取りその実現に向けた制度利用の組み立て。複数事業所を使っている人は、時間数の管理や負担金の管理事業所間の調整等を行わなければならない。又、当事者の新たな要望に対し様々な社会資源を活用してその実現に向けた取り組みを行う事になっている。
 当事者とまともにコミュニケーションが取れない市の職員が果たして、その人の暮らし 全体の事柄に対応できるのかと言えば不可能である。例えできたとしても、それは膨大な業務となり今日の職員体制では無理である。よって、相談事業はより当事者に近いところにいる者によって担われる必要があると考える。しかし、往々にして市はどこか1事業所に委託する形を取りたがるが、個々の当事者の想いは様々であり、1事業所だけで担えるものではない。私としては、相談事業に名乗りを上げた事業所をヘルパー派遣事業所同様すべてに  委託をし、当事者が事業所を選べるようにすべきだと考えている。
 なぜなら、相談を受ける側も総合的な支援をしようとするも、結局はそれぞれに得意とするところがある。(医師免許があれば何科をで開業していも良いが、それぞれの医師が得意とする分野を看板に掲げるようなもの)すべての領域に渡って相談を受け実現に向けて歩み始めると言うこと無理があり、無理くりやれば、おのずと型にはめてしまうことになる。
又、当事者とのコミュニケーションの問題を考えれば、見ず知らずの相談員よりも近くの知り合いに相談する方が早い。当事者との関係性を持っているところが気軽に相談を受け 当事者とともに歩む方がより当事者の要望に即したものができるのではないだろうか?
 いづれにしても、たくさんの相談事業所があるということは、当事者個々人が自分にとって必要とする事柄を相談できる事業所を選べると言うことになる。
 この相談事業の中身を良く見れば、自立生活をする当事者を支援するたこの木がこれまでやっていることばかりが書かれていて、たこの木としても相談事業に参入することを考えている。只、たこの木と他数社で市内全域と当事者とやり取りするとなれば、たこの木の趣旨に賛同しやり取りを進めている当事者への対応もおろそかになってしまうので、様々な立場の事業所が相談事業に参入しできる仕組みを作り当事者が選べる事業として欲しいと思う。

【聞き取り調査のその後】

 制度を利用する当事者にとって支給決定基準や市が実施する事業が決まらない中で、障害認定区分だけが先に行われる事は非常に恐ろしい。しかし申請書出さないわけにもいかず、この間の交渉を見定めつつ先日自立生活をする当事者と申請書を提出した。市も大口の(?)当事者からの申請で、すぐさま聞き取り調査の日程を決め自宅にやってきた。
 約2時間に渡る聞き取り調査。調査項目の解釈や特記事項に何を書くかも含めやり取りが続く、できない事・大変な事を強調しなければならない調査項目に、本人はいらつきを   隠せない。同席した私は実際の生活場面をありのままにフォローするのだが、本人にして  みれば「僕はそんなにできない人なのか?」「岩橋は僕のことをそんな風に見ているのか!」と言う想いを持つのは当然で、本人の冷ややかな視線を気にしつつできなさを強調する自分自身も嫌になってきた。
 聞き取り調査には普通地区割をした職員がやってくるのだが、私が同席する当事者の  調査には必ず係長がやってくる。係長は「特異なケースなので一貫性をもって調査するためにそうしてます」という。結果が伴えばそれはそれで評価できるのだが、調査の方法や   項目の解釈をめぐって議論になると、他の職員はそんな議論もなしにサクサクと係長が  初めに口にした考え方によって調査をしているのだと思うと恐ろしくなる。
いろいろ書きたいことはあるが、とりあえず「区分認定と支給決定基準はリンクしません  よね!」と釘を毎度さして調査を終えている。

【医師の意見書その後】

 居宅介護を受ける上で必要となる医師の意見書。障害は病気でないので「これまで医療に関わったことがなく、書いてくれる医師がいない」と言う相談が増えている。これまで   つながりのある医師を紹介するも、たこの木とつながる医師は想いを持って取り組まれて いるので、依頼が集中し対応に追われている。そこで、新たな医師を発掘することに…。
 相談に来る人に少しでも関わりのある医師を教えてもらい、その医師に意見書を作成してもらえるようやり取りする。「なぜ私が?」とか「私には障がいのことは分からない」とか  言われるが、意見書が単に医療的見地からのものではなく、生活のことやその支援の必要性についても書くようになっていることから、こちらのフォローを前提に何とか受けてもらう。
 この間いろんな医師と話して思うことは、「医師は普段患者の症状を見て処方や処置をするのであって、意見書で聞かれる生活状況や支援の必要性などというものはまったく理解する場がない。」と言うこと。それなのに、医師という専門家の意見書を求められること。意識  ある医師は、その事を理解し当事者からの話をじっくり聞いて書いてくれるのだが、障がい者ではなく「患者」としか見ずその人の日常にまったく関心を寄せない医師との出会いは、当事者の日常や支援のことを話す機会としてはとてもよい機会と思った。
 医療という場は なかなか専門性が高く別格のように思ってしまうが、意見書作成を  契機に地域と医療をつなげる場にできればと改めて思った。

【黙っていてはいつの間にか…】

 H市に住む親から「ガイヘルが10月から一律25時間になるってどういうこと?申請の期限が迫っているんだけど、何か市に言った方が良いのかしら?」と言う電話があった。その当事者には月100時間のガイヘルが支給されている。とりあえず、翌日市の窓口へ 事情を聞きに当事者・両親とともに行った。
 市職員「これは、全体に出したものでAさんには別途状況を伺って決定するつもりでいた」とは言うが、そんな事は文書に何も書かれていない。(明らかに市のとぼけた対応である)
 (本人に言葉がない分)両親からこれまでの利用実態や現状が話され、それに対し市は 「もっともなことで」と受け答えする。H市はガイヘル利用がほとんど進んでいなくて、ごく一部の人については必要性に応じて時間数を出している市である。話の端々に「特別に」という言葉が入れられる。そして、あわよくばどさくさにまぎれて、市の思惑を通そうと  するのが見え見えで、「他に時間数を超えている人もいると思いますが、その人たちに訊ねてみると通知の意味が分からなかったり誤解していたりで、10月からの制度のことを話すと 一様に不安がっていましたよ。その人たちはどうするんですか?」と聞けば「今日話した内容については、その人方々にも改めて通知しようと思っていました。」ととってつけた回答。
 「申し訳ないけど、少し皆さんに不安をあおった形になってしまっているので、すぐに対応してください」とこちらもとぼけて言えば「今週中に通知します」と即答。
 話を終えてたこの木に戻ると、別の親から電話で「市から電話がきて利用状況を伺いたいと言ってきた」との事。おいおいである。
支援費制度時代「その人の必要に応じた支給」と言うスタンスで、制度が進んだ部分が  ある。しかし、行政にとってはその趣旨を理解して支給しているのではなく、どこか「うるさがたには出しておけ」的な対応で進んできた部分もある。行政にとっては制度の  変わり目は「特別なこと」は切り捨てる機会でもある。
 逆に当事者にとっては制度がコロコロ変わり、何がなんだか分からないという人も多いと思うが、「アレッ?!」と思ったらどんどん市に問い合わせ、自分に対する支援が10月以降どうなるのか?をきっちりと聞き取り、あわよくば、必要に応じて現状を超える支援を具体的に勝ち取る機会にしたいものです。
 いろいろ書いてきましたが、この1ヶ月自立支援法をめぐっては様々な事柄があり、十分書ききれない面もあるのですが、10月の本格実施に向けこの正念場をともに乗り越えていきましょう!!たこの木にも遠慮なくご相談ください。 


■第6回(たこの木通信227号(2006年9月20日)


  【多摩市障害福祉サービス支給決定基準をめぐる攻防】


 障害福祉サービス支給決定基準は、障害区分認定の後当事者のサービス意向調査を基に 居宅介護等の支給量を決定する基準です。多摩市でもその 原案が9月中旬に示された。 (文書の詳細については現段階では出せないのであしからず)
「多摩市障害福祉サービス支給決定基準(案)」は、本来各市ごとに定める事になっていますが、出された原案は近隣各市とまったく同じもので、私たちとこれまで作ってきた多摩市独自の取り組みや経験がどこにも反映されていないものでした。
 「現状のサービスを低下させない」と言う私たちの約束が果たしてこの基準によって守られるのか?又歴史の浅い知的当事者や新たに加わった精神当事者の24時間の介助保障が果たして守られるのか?到底そうは思えない原案に対し抗議しつつ、10月が差し迫る中原案の文字の一言一句にいたる話し合いが続けられました。
 当初出されて案は、今後この基準によってサービスを受けようとする者には、非常に少ないサービス量となっています。そしてすでにサービスを利用している人でそれでは自立生活が維持できない者には「特別の事情」と言う事で既得権を確保し、現状のサービス支給を  維持する枠組みとなっていました。まさに、前回も書いたとおり制度の変わり目が市の負担を軽減する機会とする姑息なやり方です。又運動の歴史が浅い知的・精神の人たちと重度身体では等しく必要とする支援も逐一確認しないとサービスが受けられない原案になっていまいた。これは、今自立生活する者とこれから自立生活をする者を分断し、障害種別によって分断されかねないものであり、私たちはこの原案に対して「どのような障がいがあっても」又「これから自立生活をする(しようとする)当事者に対しても」同様にサービスを提供できる基準とするよう交渉を重ねました。又、様々なケースに市が柔軟に対応できるよう、基準で人の生活を縛らない修正を求めてきました。
 交渉によってとりあえずは、問題となる箇所の訂正や削除、語句の確認が概ねこちら側の要求どおりできたので原案を了承しました。しかし、実際に交渉の場に重度知的当事者や精神の人は参加していないことや人の生活は様々であり、この基準がどのように運用されていくのが予断を許しません。その点について、いみじくも「国の作業が遅れている中で10月実施に向けぎりぎりのところで作成した基準」と市の発言を受け、具体的に10月からスタートする中で、私たちは「今後このサービス支給基準で問題が生じた時は、基準の見直しを市と協議する事。又、市が基準を変更する際にはわたしたちと協議する事」を約束し次の機会に続けました。
そもそも人の生活を基準に照らして決めると言う事はできない。しかし定めなければならない基準に対し、私たちは実際の当事者の生活や支援の必要性を常に訴え、つくりかえられる基準であるべきだと考えています。自立支援法の本格実施が後数日に迫っている中、まだまだ納得がいかない点がありますが、9月末がこれまでの闘いが終わるのでは決してなく、又法律や制度に縛られることなく、今後も実際の当事者の暮らしの中から市に対し訴え続けていきたいと思います。

【さて、支給決定基準に基づく支給量及びサービス提供】


 今後自立生活をする重度身体の人たちにとっては、主に重度訪問介護というサービスを 中心に介助体制を組み立てていきます。よって時間数や報酬単価にある程度のめどが立てば良いと言う面があります。しかし、知的当事者の自立生活はここからが大変なのです。
 まずは、今回支給決定が時間数ではなく介護保険と同様に単位制になり、与えられる単位を基にサービスを組んでいかなければならない。それは、居宅介護だけでOKな人もいれば、  行動援護と組み合わせたり、デイサービスと組み合わせたり、さらには地域生活支援事業の移動介護と組み合わせたり。又、それは実施する事業所の都合も加味し(行動援護ができない事業所・どの類型でデイサービスを行うか)組んでいかなければなりません。その辺り  介護保険ではケアマネージャーなる人が報酬をもらい点数計算をしてサービスを組んでいくのですが、現段階で当事者の意向を受け止めサービスを組む事業所や人がいないため、サービスが組めないと実際の支給決定もできず、10月1日から当事者の生活は成り立たちません。
 基準は定まったが、どのように支給量を決定するかについてはまだあいまいです。例えば、今支給されている金額ベースを単位に直して時間数を出すのか?それとも現在支給している時間をそのまま出して、その結果を単位に置き換えるのか?自立生活をする個々の当事者はとうに支給基準額を超えているため、基準があってないような状態でなのです。
 具体的に現在たこの木を介して自立生活している人が3名いる人について考えると、まずは福祉部からは決定通知が来る前に各人の障害区分を聞き使えるサービスを聞く。そして今利用している各事業所に対しどのようなサービスが提供できるかを聞く。その上で行政とどのようなサービスをどのような時間帯で受けるかを決め支給単位を決め、10月初日の事業所契約へと向かわなければなりません。
 さらには、現在緊急対応と言う事で9月末まで破格の支給決定をしている当事者に対しては、その作業の前にその人の現状を報告し今後のサービス支給量を決める事から話し合わなければならず、時は20日を過ぎここ2週間を切る中で本当にできるのだろうか?と思いつつ、それをすべて手弁当で、国が定める制度をどう具体化していくか?当事者の生活実態に即した支援のあり方について、さらに行政と各当事者をめぐる話し合いは続くのです。

【地域生活支援事業概要】

 多摩市が実施する地域生活支援事業と負担金について提示されました。
多摩市としては相談事業・コミュニケーション支援(手話通訳者派遣)・日常生活用具・住宅改造・移動介護・地域活動支援センター・入浴サービス・自動車免許・車両改造・補装具の一部補助・施設系ショートステイ(日帰り)を行う事が示されました。(制度の詳細・各事業の負担金について省略します)詳しい内容について未だ決まっていないものがあるものの、市としてはこれまで実施してきたサービス水準を可能な限り下げない方向で考えたそうです。
 その中でたこの木としてこれまで追いつづけてきた移動介護について取り上げます。
 市から示されたものを《多摩市移動介護事業を利用者の側から見ると》

 ・利用内容については従来どおり、又利用時間帯も制限は設けない
 ・実施事業所契約は従来どおりで、利用者が選べる(複数事業所との契約も可)。
 ・負担金:非課税世帯は無料・課税世帯は1割(80円/30分)
 ・支給時間:40時間/月を目安とし、それ以下の人は現支給時間、超える人には状況
  を確認の上決定(状況が変わっていなければ現支給時間数)尚、新規についても同
  様に決定する。
 ・対象者:知的・身体(視覚)・精神・障がい児(自閉症・高次脳機能障害ついては不明)

《多摩市移動介護事業を事業所側から見ると》

 ・単価:800円/30分(一律)時間帯加算・開始時加算は設けない
 ・指定事業所・基準該当事業所の区別は設けない
 ・ヘルパー要件は現状のまま。(今後検討する)

《その他》

 ・通院介助については、居宅介護(身体介護・家事援助)で行う
 ・グループ介護については未検討

 以上の通りです。実施要綱については他の支援事業とあわせ只今作成中とのこと。
 先日ガイヘル情報交換会があり他市区の様子を伺うと、多摩市は単価的には最低ランクに位置していますが、支給時間数や負担金、対象者と言った面ではそれなりに評価できる位置にいると思います。
 今回他市区から寄せられる情報を見ると、支給時間を年間単位で決定する。通所・通学を認める。団体の長が利用する場合は時間を加算する。夏休み等には支給時間を倍にする。高次脳機能障害を対象とする。独自研修を認める。負担金を居宅介護と合わせて上限とする、それぞれに徴収する。基準該当を認める、都の指定事業所でなければならない。事務手数料を上乗せする。単身者は時間数を加算する。時間数も20時間を上限とする、状況に応じて時間数を決める市もあり、現在示されている内容は様々です。(まだ示されていない市区は、多分それらの市区を見て決めるのでしょうから、近隣市区の情報は大切かも)
 それぞれに良いところもあるけれども、対象や時間数を広げる代わりに単価を下げたり、高い単価設定によって時間数を低く抑えたりと、獲得した分制限される事もあり一概にどの市の内容が良いのか分かりません。ただ言えることは、各市区の枠組みは市区と交渉した  団体が良いと思った枠で決まっていると言う事です。(もしくはその隣の市と横並び設定か)それは、これまでの実績によって勝ち取ったと言えるのですが、逆にそれ以外の課題を切り捨てたという結果でもあります。
 多摩市においても、たこの木が中心となって交渉してきた結果、負担金を下げ時間数を確保すること、利用実態から基準該当との差をなくすと言った面では一定の成果はあったと 思います。しかし、単価が低いと言う点では(現状の昼間単価で言えば数円あがってはいるが…)実際、(事業所の皆さんには申し訳ないですが)事業所の努力が求められる結果となっています。この設定で事業所が持ちこたえられなければ、結果当事者はガイヘルを利用できない。当事者が求めるガイヘルを受けられないと言う事もつながります。
 そこのところは、まず利用者が利用しやすい制度にすることで、当事者が制度をたくさん使いその事で、単価も含めた様々な問題点を明らかにし、今後当事者自身が市に訴えていけるようになることを願ってきました。故に、(すでに市からは通知が届いているかと思いますが)この決定を最終とは受け止めず、当事者並びに事業所ともどもよりよい制度にしていくためのスタートラインとして受け止めていただきたいと願っています。
 例えば、単価だけでなく時間帯加算やコーディネートのための費用も必要だし、ヘルパーの資格要件及びガイヘル研修といった人材確保の面でも課題はたくさんあります。又、課税世帯の1割負担があるため、当事者は親の都合で制度を使う点では当事者の制度となることなど課題は決して少なくありません。又新たに加わった精神のガイヘルは、どのように実施していくのか実際に始まってみないと分からない課題もたくさんあります。
 兎にも角にも、新たなスタートに向けともに情報を共有し当事者とともに行政と向き合い続けることが重要だと思います。

番外編

自立・自立と偉そに言うな! 自立を促しなぜ分ける
〜就学時健康診断を拒否すること〜

 古くからたこの木通信をご覧の皆さんにはなじみの深い「就学時健康診断」。小学校へ就学する子どもたちを対象に市が実施する健康診断です。毎年多摩市では10月〜11月にかけて実施されています。この健康診断のお知らせは、対象児のいる家庭に「入学前の子ども達の健康を願って」と通知されます。しかし、これは個々の子ども達の健康診断という行政サービスはなく、健康診断を実施する事で数%の「障害児」を発見し「適正就学」の名の下子どもたちを振り分けるために「就学時検定診断」なのです。
この就健に対し多摩では20年前から拒否する運動がありました。就健に対し拒否を表明すると、次に届く文書には「子ども達の適正な就学のために、就学時健康診断を実施する義務があり、その適切な履行のために就学時健康診断を受けてください」なる趣旨の文書が届き、拒否をした親たちを脅かし始めます。しかし、就健を市が実施する義務は法律で定められているのですが、こちら側に受診の義務があるわけではありません。事実中野区では、「受診の義務はありません」と明確に言っているし、これまで多くの方が拒否をしてきました。
 多摩でも教育委員会と交渉してきた結果10年前ぐらいから拒否をした人に対しても、受診した人たちと同様に就学通知を出すようになりました。その結果から多摩では、就健そのものの運動は終わり、その後に続く学校の事・進学の事・就労や自立と言った課題へと移行してきました。
 ところが、昨年度久しぶりに2名の方が就健を拒否すると、過去の教育委員会との交渉はなかったかのように、拒否者に対し多摩市教育委員会は「就健は義務なので受けてください」と脅かし、さらには家族が知らないところで子どもの状態を勝手に確認し、さらには1月末までに就学通知を出す事が法律で定められているのにもかかわらず、「受診するまで就学通知は出せない」と言う暴挙に出ました。
 この件では、就健を拒否した親たち又就健OBたちによって、市教育委員会に謝罪させ、「就健は義務ではない」「受診したものと同様に就学通知をだす」ことを確認されました。
しかし、学務課長との話の中で「適正就学は子ども達の将来にとって大切な事であり、障害児が普通学級に行くことは良い事であるが、受け入れ態勢が整っていない普通学級に通わせる事は障害児のためにならない」と言いました。
その発言は、同じく20年前の課長や部長も言った発言です。学校と言うところは20年たってもできない受け入れ態勢ができないというのは、「結局受け入れたくない」と言う事なのです。それどころか、特別支援教育なるものを生み出しより子ども達を選別する方向に向かっているのです。
 現在多摩で自立生活をする知的当事者は幼い頃から地域で過ごしてきました。そして、普通学級で育った子ども達は、「教え育てられる」ことにおいては分けることを前提としている教育からは得るものがなかったとしても、子ども達の社会である学校の中にい続けることで、障害のある者とない者とが同じ目線で存在し、お互いが様々な事を得てきたように思います。
今たこの木では「当事者支援」と言う視点で活動していますが、その当事者が普通学級と言う社会の中で自らが勝ち取ってきたものが確実にあると思います。
 そんなこんなで、就健に関心のある方、たこの木クラブまでご連絡ください。  


■最終回(たこの木通信228号(2006年10月20日)


【自立支援法の本格実施はじまる〜新たな闘いに向けて〜】

 いよいよ10月になり障がい者自立支援法におけるサービスの本格実施がスタートした。(とは言っても、未だ10月からの受給者証が届いていなかったり、障害区分認定が未確定 だったり、サービスの詳細が明らかになっていなかったり、さらには派遣事業所においては10月分の請求の仕方がまったく不明瞭であったりとまだまだ混乱が続く)
 当事者側(たこの木)と事業所側(はてなのたね)の両方に立場からこの間の状況を見ていると、この法律と法律によって枠付けされる様々なサービスがまったく人の生活を抜きに作られているものかを非常に実感している。
 「地域格差をなくすため」と言いながら地域格差は益々広がっている。それは、これまでに生まれた地域格差は、決して行政主導で生まれたわけではなく地域で暮らす当事者や支援者の長年の取り組みの結果でしかなく、国が言うところの地域格差をなくすという行為は、すなわち長年の交渉結果をゼロに戻そうと言う事なのである。当然当事者の抵抗は激しく なる。又、長年交渉を続けてきた当事者に一番近い市においては、単に国の定めだからといきなりこれまでのサービスを切る事はできず、制度の枠を運用したり、自治体独自の別枠を設けたりする事で現状を維持する事に努めている。そんな訳で、障がい当事者の自立に取り組んでいる自治体とそうでない自治体の格差は確実に広がっている。
 又、「総合的な支援を目指す」と言う事で様々なサービスを一元化しようとしているが、地域にいる当事者の暮らしは様々であり、一律にサービスを支給することは決してできない。例えば居宅介護にしても、毎日決まった時間必要な人もいれば、休日のみ長時間必要な人もいる。気の合う人とクループホームで暮らしてきた人たちも、個々の障害区分認定で一緒に住めなくなったり、これまで通っていたデイサービスの枠組みが変わり、これ又利用できなかったりする。
 自らの意思で複数のサービスを利用し生活している人たちにとっては、サービスが枠付けされることで、これまでの暮らしが寸断される。介護だの訓練だの生活の場だのとサービスを枠づけするのは結構だが、人の暮らしは様々であり自己選択に則ってサービスを提供すると言う事は、人の数だけ組み方のパターンがありそのすべてに対応しきれるものではない。要するに、国の想定としては一事業所が様々なサービスを実施することであり、一事業所が一人の当事者の自立をすべて仕切る。すなわち当事者がサービスを利用するのではなく行政(事業所)が当事者に与えると言う措置の時代とまったく変わらない構造になっているのである。さらに、これまで当事者を「生かさず殺さず」で安上がりの入所施設を推し進めてきた国は、さらに安上がりにするため、地域の中に事業所による施設づくりを推し進めようとしているのである。
 「自立支援」という名前に希望を持った人たちもいるのだろうが、それは国が考える「自立」と言うものを行う「事業所を支援する」法律であり、事業所は国の支援を受ける限りは国の考えに則って事業所実施しなければ「支援」が受けられないと言う事なのである。
 例えば、基準該当事業所という国の定めではなく、地域に密着した市行政から認められた事業所は、同じ派遣を行っても指定事業所の85%しかお金を支払わない。さらに10月以降は、国の定めに則っていないヘルパーに対しても70〜90%に減算される事になる。知的や 精神当事者にとっては介護技術もさることながら、一番大事なヘルパーとの信頼関係は、無視され、とにかく国の定めに逆らうものにはお金を払わないと言う事態となっている。
 昨年、グランドデザインなるものが出され、障害者自立支援法が性急に作られ、有無を言わさずこの10月の本格実施。サービス支給決定基準が9月末に出され、未だ利用者説明会が開かれないままに、とにかく「制度が変わった」と言うだけで、市行政自身も何がなんだか判らないままに様々な事務をこなしているありさま。
 全国大行動や各地域での様々な取り組みも含め、障害者自立支援法なるものに抗し続けてきたが、結局のところ今具体的なサービスが示される段になってそれらははっきりいって「敗北した」と私自身思っている。
 その理由の一つに、一部の支援費バブルに酔いしれた人たちがその既得権確保のためにこの間戦ってきた事が、結局は限られたパイを食い合うだけに終始したと考えるからだ。
 それは、この間の取り組みが障がい当事者自身の問題として取り上げられ、物言える当事者によってこの間の運動が担われてきた結果、既得権確保の闘いになったように思う。
 障害者自立支援法の闘いは、「障害者」の「自立」を定めたものではなく「自立」を「支援」する法律を定めたものである。よって本来この法律に対する闘いは、支援する側の闘いであり、闘わなければならないのはこれまで当事者を支援してきた私たちが、この法律によってこれまでの当事者支援ができなくなる事に対して闘わなければならなかったと考える。
 障がい当事者は、この法律に対し自らの問題でなく、自分たちの周囲にいる支援者に対し、「この法律によってお前たちどう俺たちを支援するのか?!支援し切れるのか?」を問い、闘う主体である支援者(事業所)に対し、問いかけさらに共に闘うと言う図式が必要ではなかったかと考える。
 そうであったなら、闘う支援者は身体だの知的だの精神だのと言う区分けもなく、目の前にいる当事者を支援すると言う共通項において戦いぬけたのではないかと考える。
 しかし、現実は障がい当事者の闘いであり支援者(事業所)は当事者の後ろに回り、今に至って運動の敗北(事業所運営の危機)を障がい当事者の責任としてしまえる構造を生み出しているように思う。
 そんな風に私自身この支援費制度から自立支援法そしてサービスの本格実施に至る事柄を総括し、「障害者自立支援法に抗して」と言うタイトルは最終回とさせてもらいたい。
 しかし、闘いはまだまだこれからである。
 自立支援法に則り新たなサービス体系となった今日、どのような状況にあっても支援し 続ける私たちの闘いはまだまだ続く。
 支援費バブルで麻痺した当事者や支援者の感覚をリセットし、支援者は「霞を食っては生きられない」けれど、「生きられないからと言ってこれまで共に歩んできた当事者を切る」わけにはいかない。又ほんの10数年前までは介助者確保もままならないけれど自立生活を 続けてきた当事者がいまさらながら自立生活をやめるということもありえない。
 「自立」とはなにか「支援」とは何を改めて問いつつ、当事者・支援者共々の生活保障に向けた闘いを続けていかなければならないと思う!! 


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