5-5  まちづくりについて考えること

                     成蹊大学助教授・市民会議代表  江上


 心のバリフリー市民会議も含めて、私がいくつかのまちづくりの活動に関わってきて感じていることを、思いつくままに書かせていただくことをお許しください。

まちづくりの活動といってもいろいろあって、とってもおもしろくて寝食を忘れてしまいそうになるものもあれば、なんだか関わりを持ったことを後悔してしまうようなつまらないものもあります(もちろん、そういう活動からは足が遠のいてしまうことになるのですが)。私にとって“おもしろい活動”と“つまらない活動”を分ける基準は何なのかとあらためて考えてみると、これがよくわかりません。ただ、いくつかのことは指摘できるように思います。

つまらない活動のつまらなさとしてまずあげられるのは、現実ばかりが先に立ってしまうということでしょうか。夢がない、夢がふくらまない・・・というより、夢を持つことを許してもらえないような、夢を語り合うことを拒絶するような、そういう仲間との活動はなんだか義務感だけで関わることになってしまうようです。

活動そのものよりも組織のあり方、運営の仕方など、組織維持に躍起にならざるをえない活動も、なんだか面白味に欠けるようです。やりたいことがあって集まったのに、肝心の活動がなかなか進まず、組織の枠組みなどばかりを議論しているグループってありませんか?

このこととも一脈通じるのでしょうが、組織がしっかりしていてメンバーシップがあまりにも厳格なグループもいただけません。いろいろなメンバーが自由に出入りできるような雰囲気というのが大切なのではないかなと思います。意外な出会い、おもしろい出会いのない活動では楽しみも半減ですから。

そして、いっぱいおしゃべりのできる活動が楽しいですね。活動に関すること、そうではないことを問わず、なんだかんだと四方山のお話、おしゃべりのできるグループって素敵だと思います。

まちというのは、たくさんの人たちが暮らしあう場です。でも、現状では暮らしあうということがなかなかできない・・・個々の暮らしはあるのですが、暮らしあうことが難しいのではないでしょうか。人々が暮らしあうまちをつくること、これがまちづくりだと思いますが、そのためにはそこで暮らす人と人とが緩やかでいいから結びつくこと、つながることが肝要でしょう。そのためにも、つまらない活動よりはおもしろい活動が必要なのです。開放的で人を拘束しない、でもおもしろいからやってみたいと思う、そんな活動がたくさん生まれてこそ、まちがつくられていくのです。


<次ページへ>

<戻る>